気まぐれシェフの夢 ― バン×エレイン

※102話でギルサンダーが<豚の帽子>亭を訪れた後の話。



 「あなたの料理には、まるで食べさせたい女性がいるかのようだ」
 ギルサンダーのコメントに、厨房で今夜の仕込みにいそしんでいたバンはふり返った。



 気まぐれシェフの夢



 ピンクがかった美しい髪、穏やかで理知的な面差し、元聖騎士長の息子という出自を持つ青年は、聖騎士長と〈七つの大罪〉を除けば王国(リオネス)最強の誉れ高い金剛(ダイヤモンド)の聖騎士だ。
 その場にいるだけでノーブルな気品漂う彼が、場末の酒場そのものである〈豚の帽子〉亭で大罪人(バン)の手料理に舌鼓を打っている様は奇妙ですらある。
「何、ナマ言ってやがる」
 バンにギルサンダーの食事(デザート付き)を出すよう命じたメリオダスは、祭りの関係者に呼ばれて席を外している。残飯をたらふく食ったホークもいそいそと花を摘みに行ってしまって、日頃口数の少ないギルサンダーと興味のないモノには一切関心を払わない(そしてギルサンダーは興味の対象には入らない)バンが二人きりの店は静かそのものだった。決して居心地の悪い沈黙ではないはずなのに、ギルサンダーからバンに話しかけてくることがますます奇異に見える。
「子どものころから、思ってたんですよ」
「とんだマセガキだな。……てめえにメシ食わせたことあったか」
「ええ」
 ギルサンダーが初めてバンの食事を口にしたのは、〈七つの大罪〉がリオネス最強最悪の聖騎士団として人々の畏怖と敬愛を受けていた時代、ギルサンダーが二桁の年齢にも届いていなかったころの話だ。メリオダスに剣の稽古をつけてもらった帰り、いつものネガティブ思考に陥っていたギルサンダーは、見るに見かねたメリオダスの誘いで〈七つの大罪〉の食事場へ顔を出した。
「あなたが食事を作っているのを見て、メリオダスが『今日はツイてる』と言ったのをよく覚えています。『バンのメシは旨いんだが、気まぐれシェフだからいつありつけるかわかんねーんだよ』とも」
「オマエに興味ねぇからサッパリ覚えてねーわ」
「でしょうね」
 歯に衣着せぬバンの物言いにも、ギルサンダーはうっすらと笑うだけで気分を害したりはしなかった。心から味わえるバーニャエールと、旨い食事がギルサンダーのネガティブに歯止めをかける。
 10年以上昔になるあの日、バンの手料理を食べたギルサンダーの頭にはマーガレットの顔が浮かんでいた。彼女がこの場にいて自分と同じものを口にしていたら、どれほど楽しいだろうかと考えた。
 言われずともマーガレットは王国の第一王女の身だ。ギルサンダーが呼び捨てにして不敬罪に問われないだけ国王も国民も寛容ではあるけれど、王女が城の外で、いかに国王専属の聖騎士団とはいえども大罪人の作る食事など口にできるはずがない。
 歳の割に物の道理に明るいギルサンダーだが、マーガレットを想えば無理を押してでもかなえたい望みでもあった。ひとくち、またひとくちと食べる度に、口の中に広がる美味しさにその衝動は強くなる。この美味しい料理を食べた、マーガレットの笑顔が見たいと切に願ったのだ。
「10年以上経った今でも、同じことを考えます。むしろ磨きがかかっているようだ」
「ペチャクチャしゃべってねぇで食えよ、マセガキ」
 そう言ってバンは、ギルサンダーの舐めたようにきれいになった皿を引き上げる。代わりに、本日のコース最後の皿を置いた。皿の中央に鎮座するコケモモのピンクが美しいケーキと、それを作った男の人相の悪さを引き比べて、ギルサンダーは見咎められない程度に唇をほころばせる。
「どっこいせ……っと」
 バンは何を思ったか、厨房には戻らずギルサンダーの向かいに腰を下ろす。身長6フィートのギルサンダーよりさらに高い位置にある彼の顔が、いつもよりずっと近くに見えた。
 バンが大罪人として投獄されたのは、彼が現在のギルサンダーの年齢を過ぎてそこそこのころであるらしい。しかしとうに四十路の坂を越えているはずの、バンの容姿は髪の長さを除いて10年前から何一つ変わっていない。おそらく、彼が<強欲>のレッテルを貼られた20年前からもほとんど変わっていないことだろう。
 メリオダスを筆頭に、魔術師のマーリン、人間よりはるかに長寿な種族であるディアンヌやキング。〈七つの大罪〉は年齢不詳者の巣窟だ。言動から思考回路まで、どこか底知れない正体不明のメリオダスに対し、バンは人間でありながら人間をやめた男と知られていた。
 不死者(アンデッド)・バン。不老不死の男。20年前、妖精王の森に伝わる秘宝・生命(いのち)の泉を手にいれた〈強欲〉の大罪人。仔細は国王のみが知るトップシークレットだが、彼は不老不死の肉体を手に入れる際に秘宝を守る聖女を殺したとされていた。
 己が〈強欲〉を満たすためにひとりの女性を殺めた男のつくる料理が、なぜこんなにも旨いのだろうとギルサンダーは疑問を抱く。料理の良し悪しは素材と、それを生かす技術と経験とセンスが決めるものだ。作り手の人格も過去も、それ自体は味に何の作用も及ぼさない。頭ではわかっていても釈然としないのは、ギルサンダーがバンの食事を一口食べるごとにマーガレットを心に思い描かずにはいられないからだろう。
 バンの料理は、一途に相手を想い、その微笑みを引き出そうとする味付けがある。デザートに至っては、盛り付けにまでその心が滲む。とりわけ初心な恋を捧げる相手のいるギルサンダーとしては、まるで自分の胸の内を映し出されているかのようで、舌に広がる甘さに頬が熱を持つのを抑えられない。
「祭りに連れて来ちまえ」
 赤い顔を隠すように、俯いてケーキをほおばっていたギルサンダーは、バンのセリフにはたと顔を上げた。
「どうせ(ここ)はドンチャン騒ぎだ、バレやしねぇよ」
「いいんですか」
「団ちょがダメって言うと思うか?」
 ニヤリと笑うバンは大悪党のそれで、しかしエプロン姿が憎めない。そもそもバンの大胆で魅力的な提案に、胸を弾ませるギルサンダーにはそれどころではなかった。
 マーガレットは、喜んでくれるだろうか。大人しくて、控えめて、第一王女としていつもどこか自分の心を抑えているような彼女だけれど、だからこそ、少し粗野なきらいがあるこの店の雰囲気は新鮮で眩しいだろう。何より、喧騒の中で飲むバーニャエールと、このコケモモのケーキの味を知ってほしかった。
「食ってもらえなきゃ意味ねえからな……」
 彼女を連れ出す算段に気を取られていたギルサンダーは、間近で落された呟きを拾い損ねる。
「え、今、何か?」
「さっさと食えっつってんだよ、ガキ」
 引き上げるぞ、と食べかけの皿を奪われそうになって、ギルサンダーは牽制のためケーキの残りにフォークを指す。そのままバンに見せつけるように、最後のひとかけらを口に放り込んだ。
 コケモモの甘酸っぱさを効かせたケーキはやはり、若き聖騎士に初恋の切なさを彷彿とさせる。初恋味のケーキを飲みこんで、ギルサンダーは気まぐれシェフへの謝辞を口にした。
「ごちそうさま。とても美味しかった」
「そりゃどーも」
 そうしてバンの意味深なひとりごとは、結局、誰に耳にも残ることはなかった。




 テーブルの前に出された謎の物体Xに、バンは深々とため息をついた。頭の動きに合わせて、伸ばしっぱなしのざんばら髪が揺れる。
「団ちょ~、あのレシピの何をどうしたらこーなるんだ?」
 バンの目の前にいるのは、王国(リオネス)最強にして最悪と言われる聖騎士団〈七つの大罪〉の団長・メリオダスその人だ。彼に独房から殴りだされてまもなく3年の歳月が流れようとしているが、メリオダスの少年のような容姿は一切変わらない。不死者(アンデッド)として歳を食わないバンと、不老ぶりでは引けを取らなかった。
 それはさておき。
 料理の教えを乞うたメリオダスに、バンが渡したのはパウンドケーキのレシピだったはずだった。小麦粉、卵、バター、砂糖を1ポンド(パウンド)用意してベーキングパウダーと混ぜて焼くだけのケーキだ。それがなぜ、王城の厨房中に異臭ただよわせる紫色の塊りになるのか。
 いや、まだ動かない塊りなだけマシだろうか。いつぞや食わされそうになった、触手めいたゲテモノを思い出して頬をひくつかせるバンに、メリオダスは自信満々に答える。
「俺なりのオリジナリティを加えてみた!」
「基礎もできねぇヤツがオリジナリティ出してんじゃねーよ」
 あり得ない臭い、あり得ない色。いつも支離滅裂で気まぐれな言動に、〈七つの大罪〉の中でも呆れられることの多いバンだが、こと料理の腕前に関してはメリオダスと立場が逆転した。
「団ちょは料理すべきじゃないと思うぜ、マジで」
 バンの最後通牒に、メリオダスの顔が沈む。心底困った顔を向けてくるが、たいていこういう時は下らない話が後に続くのだとバンもいい加減気づきつつあった。そして予感は的中する。
「それがなー、バン。巷じゃ、料理のできる男はモテるらしいんだ」
 メリオダスの台詞が本心かはさておき、やはり下らないとバンは厨房の天井を仰ぐ。
「目当てはソレかよ。団ちょの頭ん中はピンク色だなー」
「俺がピンクならキングは紫色だな。何せ欲求不満(ムッツリ)だから」
 くいっとメリオダスが顎をしゃくった先に、バンも紅い瞳で視線を流す。城の窓の外、庭園で小型のゴーレム二体と花かんむりと作っているディアンヌの巨体が見えた。そして彼女から数フィート後ろで、その姿を覗き見している太った同僚の姿が当然のように目に入ってくる。〈七つの大罪〉のひとりである妖精族のキングが、同じくメンバーの巨人族のディアンヌにご執心なのは周知の事実だった。
「懲りねーなー、キングも」
 にしししと笑うメリオダスに対して、誰が誰を好きだとか嫌いだとか、そういう愁嘆場には微塵の興味もないバンは肩をすくめる。手ごたえのない反応に、ふり返ったメリオダスが尋ねた。
「実際どうなの、バンさん」
 バンは〈七つの大罪〉一料理ができる。料理のできる男はモテる。三段論法でバンの女事情に首を突っ込みたがるメリオダスに、バンは素直に首を振った。
「食わせたことねーから」
 聖女殺しの罪でこの国の獄に繋がれるまで、バンは自分以外の誰かに食事をふるまったことがない。メリオダスに誘われて〈七つの大罪〉に入って以後は、気まぐれに仲間の分まで料理を作ったこともある。しかしそれすら好意だなんだという以前の、自分が旨い飯を食いたいからという欲求が先に立っていて、その上自分の舌を満足させるものを作れるのが自分だけだと言う、ただそれ以上でも以下でもない動機だとバン自身は思っている。だが、メリオダスはそうは受け取らなかったようだ。
「それって料理がなくてもモテる自慢? そういえばこの間、女の子にプロポーズされてたよなぁ。唇のプルッとした()に、花束までもらってたろ」
「5歳のガキんちょだぜ? 冗談じゃねぇ」
「いやいやいや、実際、バンさん男前よ。手癖隠して、黙って何もしてなけりゃ」
「それ褒めてねーな」
 盗むなしゃべるな動くな、では人形と同じだ。だいたい他人のために自分を曲げようなんて気はバンにはない。
「で、食わせたことはなくても、食わせたい女くらいいるんだろ? そしたら俺の腕も上がるかね?」
「団ちょは食わせんな。即フラれんぞ」
 しつこく食い下がるメリオダスに、はっきり興味がないと伝えれば、黙り込まれた。それからしばし考え込んだあと、メリオダスは左手の甲を立てて反対の頬に当てる。まるで内緒話でも始めるかのように顔を寄せられ、身長差を埋めようと額を下げて応じたところに、メリオダスのひそめた声が届いた。
「もしかして、バンってアッチ系?」
「ぶっ殺すぞ」
 誰かにモテることを気にしないと言っただけで、男好き扱いされたことにバンは青筋を立てる。メリオダスを捕まえてヘッドロックをかけたり、反撃にパウンドケーキになり損ねた物体Xを投げつけられたり、ぎゃあぎゃあと二人で騒いでいれば案の定、王城の厨房が巻き添えを喰らって大破した。バンとメリオダスの料理教室は、これ以後開催することを固く禁じられる。なんと国王陛下じきじきの命令だ。
 何一つ成果の出なかったメリオダスの料理の特訓はさておき、付き合わされたバンは完全な骨折り損でふてくされる。詫び代わりにメリオダスからせしめた酒をひとりで煽っていれば、厨房での会話が嫌でも耳にリフレインした。
『実際どうなの、バンさん』

 どうもなにも、どうでもいい。

 誰が誰を好きとか嫌いとか、モテるモテないとか、本当にどうでもいい。バンが好かれたい相手も、嫌われたくない相手も、モテたい相手も、とっくにたった一人に決まっている。
 そこまで考えてしまえば、アルコールに緩んだ頭が彼女の姿を描き出すのはお約束の流れだった。きらきらと陽光の下で輝く蜜色の髪、時間を閉じ込めたような琥珀色の瞳、なめらかな白い肌と、目も眩むような白い服がふわふわと草花の上を漂う。
 エレイン、とバンが呼ぶたびに振り返ってくれる彼女は、バンが殺めたと王国の裁判記録に残る妖精王の森の聖女だった。
『食わせたことねーから』
『食わせたことはなくても、食わせたい女くらいいるんだろ?』

 その通りだ。

 料理で女が口説けると言うのなら、バンは彼女に食べさせたかった。料理のできる男がモテると知っていたのなら、是が非でも。妖精王の森に厨房があるはずもなく、人間の力では小さな火ひとつ起こせなかったあの場所では、土台無理な話だったとわかっているけれど。
 それでも、だからこそ、夢を見る。
 彼女は、エレインは、バンの料理にどんな顔をしてくれただろう。どんなふうに食べ、どんなふうに味わってくれただろうか。
『女の子にプロポーズされてたよなぁ。唇のプルッとした()に、花束までもらってたろ』
 他の誰かなんか、どうでもいい。バンはエレインにだけモテたかった。彼女のためだけに作りたかった。一緒に笑って食べたコケモモをふんだんに使ったケーキは、例えば、彼女の口に合っただろうか。

『とっても美味しいわ、バン』

 コケモモのケーキを頬張って笑う彼女は、バンの叶わぬ夢だった。




あとがき(反転)
ちょっと意外な組み合わせで書いてみよう、第一弾・ギル坊。
バンならコケモモのケーキくらい余裕でつくれると夢見ました。

2015年9月18日掲載
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