女の子だけのパジャマパーティー。素敵な響きのするイベントに、ぜひエレインもと、ディアンヌとエリザベスはあたりまえのように誘いをかけた。 「今日までゆっくりお話する機会もありませんでしたし」 前髪で右眼を隠してしまっていることを差し引いても、可憐なエリザベスは小首を傾げて微笑む。傍らでは人間サイズのディアンヌが、うんうんとツインテールを揺らして頷いていた。 「女の子だけで語り明かすよ!」 高い声と大きな笑顔を向けてくる彼女は兄、本名ハーレクイン、通称キングの想い人で、キングは恋人の口から出る男子禁制の一言にがっくりと肩を落としている。そんな兄の様子に、零れる笑みをこらえきれずにエレインは肩を震わせた。 そうして始まったパジャマパーティーに、しかしエレインが長居することは叶わなかった。闇の中から音もなく伸びた腕がエレインに触れた瞬間、脳裏に浮かんだのは自分の恋人の顔だ。兄とは違い、彼は恋人不在の退屈を我慢して留守番しているようなタイプではない。そして元賊の彼にとって、「盗み」は十八番中の十八番だった。 大きな手に口を覆われて、エレインが悲鳴ひとつあげられない中でその声はささやいた。 「奪いに来たぜ」 低い声はエレインの鼓膜だけを震わせ、長い腕は彼女の小さな体を虜にしてしまう。彼にふわりと抱えられた感覚に、エレインは抗うことなくこくんと頷いた。
I'll cover you.
「悪いひと」 パジャマパーティーの会場から巧みに連れ去られた先の、大木の太い枝の上でエレインは口を尖らせる。苔むした幹にもたれて、背後からエレインを抱えているバンはカカカッと悪びれる風もなかった。 「ディアンヌたち、今頃心配してるかしら。明日、叱られちゃうわ」 「団ちょも忍びこんでたからそれどころじゃねぇって。どうせ俺がやったって言やいい」 バンがエレインをさらったのは事実であるし、悪者扱いは慣れているというバンにエレインは首を振った。 「いやよ、そんなの」 確かに夜陰に忍んできたのはバンで、あの場からエレインを奪い去ったのもバンだ。せっかくの女の子同士の交流の機会を、台無しにされたエレインはバンを叱りつける権利がある……と、一見思える。 だがあの時、奪いに来たというバンの一言にエレインは頷いてしまっていた。彼に強奪されることを受け入れたのは、彼女自身だ。その自覚のあるエレインは「バンだけを悪者になんてできないわ」と彼を振り返る。そんなエレインをバンの微笑が出迎えた。 もともと垂れたハの字の眉をもっと垂れさせて、切れ上がった眦さえ下を向いている。柔らかい笑顔は、パジャマパーティーの会場でエレインを抱え上げた彼の腕の力とよく似ていた。 そしてどうやらこの微笑みは、エレインだけに向けられる特別製であるらしい。 「なぁに?」 彼にこんな優しい表情ができるのだと、エレインが口でいくら説明したところでディアンヌもエリザベスも、兄のキングでさえ信じてくれないだろう。そんな特別な笑顔を、今、バンが浮かべる理由がわからない。バンを喜ばせるようなことを、何か口にしただろうかとエレインは髪を揺らして首を傾げた。 「いーや、なんにも」 そしてバンははぐらかす。心を読んでしまうことは簡単だけれど、エレインはそれをしない。焦って彼の全てを覗き見なくても、二人にはこれから先たくさんの時間を共有することが赦されているのだから。 ディアンヌに、キングに、それからエリザベス。考えてみれば、妖精王の森でたった7日バンと同じ時間を過ごしたエレインより、彼らははるかに長くバンと共にある。だがその彼らより、エレインはバンの特別をたくさん知っていた。それどころか、バンの特別中の特別がエレイン自身なのだと、他でもない彼から宣言されてしまえばもうどうしようもないほどの嬉しさがこみ上げる。 「そんなことで喜ぶのはエレインくらいだ」 そうバンは言うけれど、正しくものを見る目があればバンが魅力的な人間であることはすぐにわかるはずだ。エレインが「死んで」いた頃、ジェリコという女性がバンに想いを寄せていたことを、エレインはちゃんと知っている。 「ていうかよ、お前もちょっとは抵抗しろよな。俺じゃなかったらどうすんだ」 「あんなことするのはバンくらいよ」 だいたい抱え上げられた腕の感じでバンだとすぐにわかった、と言いかけてエレインははたと口をつぐむ。 そうだ、自分は暗闇で顔が見えなくても、体に回された腕だけで彼だとわかってしまった。そして耳に吹き込まれた声に答え合わせをされると、自分が間違っていなかったことに嬉しさと恥ずかしさが同時にこみ上げてきたのだ。バンの腕の中で、ただただ頷くしかできなかった自分は、おそらく耳の先まで真っ赤だったに違いない。 エレインを抱きしめる、バンの腕はいつも優しい。兄やディアンヌが聞けばきっと信じられないと首を振るだろうけれど、エレインにとってそれは当たり前のことだ。 ほらまたひとつ、エレインしか知らないバンの姿がある。エレインが、バンの特別だと伝わる瞬間がある。 「そういやー、昔もこんな風に星を見たな」 「そうね」 バンから夜空に向き直って、エレインは頷いた。 妖精王の森での、ある夜のことだ。二人は星について語り合った。バンは星々の位置から方角や季節の移り変わり、果ては天候の異変を見る術に長けていて、エレインは星を道具のように使う人間の考え方に驚かされた。そしてそのお返しに、エレインは妖精族に伝わる星座の物語をバンに教えてやった。 「覚えてる?」 「んっんー、ほっとんど忘れちまった」 エレインは直感的にバンの言葉に嘘を感じた。だがそれは悪意ある嘘とは違う。もう一度エレインの口から直に聞きたいと言う、バンの迂遠なリクエストと受け取るのが正しい。 「もう、しょうがないわね。いいわ、また教えてあげる」 「エレインせんせー、お願いしまーす」 わざとらしく年上ぶるエレインに、こちらも全て織り込み済みのバンが乗っかる。くさい芝居に互いに耐え切れなくなって、笑い声の二重奏が星空に伸びて行った。 「妖精族の星座の見方はね、まず、空を4つにわけるの。北東の空から始まって、南東、南西、北西へと、星を探しながら物語を紡ぐのよ」 「神樹の伝説もそんなかにあるんだったよなぁ」 「そうよ。古の妖精王の、最初のひとりがお生まれになった話ね」 エレインが察した通り、バンはエレインの話を覚えていた。だがそこにはあえて触れず、エレインは神樹と古の妖精王にまつわる物語を紡ぐ。その間バンは沈黙を守っていた。その静けさはあたかも、エレインの発する一言一句から、声の響き、息遣いのひとつにいたるまで、ひとつ残らず記憶しようと耳を澄ましているかのようだ。いや実際に、彼は今、生きてしゃべっているエレインの全てを心に刻みこもうとしている。 20年前に死んだはずの恋人が生き返った。バンはまだ、その事実に慣れていない。同じベッドで眠り、目覚めた時、エレインの顔をじっと見つめているバンに出くわしたのは一度や二度ではなかったし、おはようとエレインが口を開くまで、彼は決して自分から動かなかった。まるで自分が動けば、何か、大事なものが覚めて消えてしまうかのように。 こんなこともあった。 いつかの朝、先に起きたエレインは、眠る彼を残してベッドを出た。まもなくして、血相を欠いた彼がエレインを追って姿を見せた。呆然と立ち尽くす彼は、変わらずそこにいるエレインを青ざめた顔もそのままに見つめてくる。バン、とエレインが彼の名を呼ぶと、みるみるうちに彼の表情が崩れ落ちていった。 取り繕う余裕も失った彼は、頬を伝う冷や汗を拭うこともなくエレインを抱きしめる。腕の中で彼女が間違いなく生きていることを確かめると、彼はその場に膝をついて泣いた。
夢かと思った。
エレインの小さな体にすがりつきながら、大きな背中を丸めて彼は呻いた。嗚咽に混じるその言葉に、エレインは20年に渡ってバンに強いてしまった孤独の深さを知るのだ。以来、エレインはバンより先に目覚めても、彼をおいてベッドを離れないと決めている。 こんな風だから、たとえひと晩であっても、エレインの不在をバンは我慢できない。ディアンヌやエリザベスと共にいるとわかっていても、自分の目の届く範囲から、腕を伸ばして触れられるところから、エレインが離れてしまうことにバンはどうしても耐えられない。 この世は地獄。かつて、彼はエレインのいない世界をそう喩えたと言う。 エレインは生きている。果てのなかったはずの地獄は終わりを告げ、愛に飢える恐れもない。そのことを、彼に教えてあげられるのはエレインただひとりだ。 「寒くねぇ?」 エレインが星語りを続けているさなか、夜風の冷たさを案じたバンが口を挟んだ。バンの体に包まれ、彼とどうでもいい話を続ける幸せに酔っていたエレインは首を振る。 「そりゃ残念」 「どうして?」 「お前を抱きしめる良い口実になるかと思ってよ」 パジャマパーティーからエレインをかっさらうことには何の躊躇もないくせに、こういうお伺いを立ててくるバンにエレインは卑怯だと頬を染める。目を伏せて「少し寒いかも」と呟けば、とたんに強く抱き寄せられた。 「どうよ?」 「まだ、少し」 幼い線を残す頬が潰れるほど、バンの胸が密着する。当然バンの心臓の音はエレインの鼓膜を震わせていて、バンがエレインの命を確かめるのと同じくらい、彼が生きていることにエレインは安堵する。それは20年前のあの日から、エレインの胸に宿り続ける願いだった。 どうか、生き延びて。 燃え盛る妖精王の森で、エレインはただその一心で彼に生命の泉を託した。そして死者の都で再び出会ったとき、エレインは最も信頼する兄に最も愛しい彼のことを頼んだのだ。兄が約束を守ってくれると信じながら、エレインは新たな祈りを死者の空に捧げた。
どうか、幸せに。
そのためなら自分を忘れてもいい。エレインへの誠意なら、あの言葉だけで十分だ。 想像しただけで失ったはずの肉体を切り裂かれるような痛みを覚えたけれど、それが本当に愛ではないのかと、エレインは彼が別の誰かを愛することを、彼を愛してくれる女性が現れることを受け入れる覚悟すらした。 だが結果はどうだろう。エレインが望みさえした、バンを愛する女性であるはずのジェリコの想いは報われることなく、バンは死からエレインを奪い返し、エレインはパジャマ姿でバンの腕に抱かれている。そして、あの7日間に作った思い出を二人で振り返っている。 「バンは? 寒くないの?」 「お前がいるから、へーき」 「あら、残念ね」 「へ?」 「寒いなら、キスしてあげようと思ったのに」 まるで夢のような日々。バンが不安に思うのも無理はない。だからこそエレインは、夢ではないと教えてやる。それは彼女だけに赦された権利であり、義務であった。 「キスは胸がドキドキして、寒いどころじゃなくなるでしょう?」 そう囁いて顔を上げれば、エレインの意趣返しにバンは紅い目を丸くしている。キツネ顔のくせに、こういう時はまるっきりウサギのようで可愛いのだ。 「すげー寒い」 くるんと手のひらを返したバンの返事に、エレインは声を上げて笑った。欲望に忠実で、呆れるくらい素直で、あれもこれもとエレインにねだってくる強欲くんは、20年経っても健在だ。 「なぁ、エレイン。寒ぃ」 真顔で繰り返すバンの紅い目は期待に輝いていて、焦らすのもかわいそうでエレインはキツネ顔のウサギに唇を寄せる。そしてゆっくりと、彼が望むものを望む場所に押し付けた。 瀕死の相手を不死身にするためではない、石になった体を元に戻すためでもない。ただ触れ合いたいから、愛しい気持ちを重ね合せたいからするシンプルなキスだ。 「どう?」 「まだまだ、寒すぎ」 今度は二人同時に唇を近づける。唇が重なる間際、バンの手がエレインの頬を包み、エレインの手がバンの髪をそっと撫でる。バンは手のひらにすっぽりとおさまるエレインの頬がお気に入りで、エレインはバンの硬い髪の手触りが大好きだった。 静かで柔らかな触れあいは、胸をぽかぽかとしたもので満たす。こうしてキスを重ねる度に、バンの恐怖はひとつ、またひとつと姿を消すのだろう。 エレインの700年の孤独をバンが7日で癒したように、バンの20年の孤独をこれからエレインが癒していく。彼がエレインの不在におびえなくなるために、千回のキスが必要というのなら惜しまない。 額を合わせて、見つめ合う。 「寒いな」 「うん、寒いね」 そう言って、またキスを交わす。バンの太い首に腕を回してぎゅっと抱きしめれば、彼専用のコートかブランケットになった気分だ。
私があなたをあたためてあげる。
バンがエレインを夢ではないと信じ切れるその日まで、ディアンヌとエリザベスにはパジャマパーティーの欠席に目をつぶってもらわければいけないけれど、きっと彼女たちならわかってくれるだろう。恋しい人との時間が、一分一秒でも惜しいのは彼女たちも同じだから。 「エレイン、寒い」 「私もよ、バン」 星空の下、そんなことを口にしてキスと抱擁を繰り返しながら、二人の心はあたたかいなと囁き合う。 そして星が沈み、月が隠れ、朝陽がのぼるまで、二人は大樹の枝の上でぴったりと寄り添ってすごした。
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