あるもかダイブ! ― バン×エレイン





 「俺たちのベッドを作ろうぜ」
 言いだしっぺは、いつものごとくバンだった。



 あるもかダイブ!



 妖精王の森の中央に鎮座し、薄紅色の樹冠で存在感をアピールしているアルモカの大樹。その葉は形こそアジサイに似ているが、うっすらと紫がかったピンクの葉は、羽毛のように多くの水を含むという。
「こいつ乾かして敷き詰めたら、羽毛ベッドができんじゃねーか?」
 他の植物にはないその特性に、バンが食いついたのがきっかけだった。水を搾り出したばかりの、葉の一枚を指先でくるくると回しながら彼は言った。
「また変なこと言い出して……」
 バンの突拍子もないアイディアはいつものことで、アルモカの枝にぶら下がってエレインに突風を当てさせたり、黒妖犬(ブラックハウンド)をけしかけて決死の追いかけっこを始めたり、どれもこれもエレインにはついていけない。だが今回は、「俺たちのベッドを作ろう」というフレーズに、エレインの心が揺り動かされる。

 ベッド。
 バンと、私の、ベッド。

 なんていかがわしい響きだろう。けれど提案した本人の顔からも胸の内からも、やましさは微塵も感じ取れなくて、自分ばかりが意識しているようでエレインは恥ずかしさに襲われる。バンに出会うまで、エレインは自分がこんなはしたないことを考える女の子だとは知らなかった。
「ほれ、エレイン、風」
 うつむくエレインの鼻先に、バンの手の中いっぱいのアルモカの葉が突き出される。エレインの風で乾かせということらしい。バンの紅い目は、まだ見ぬ羽毛ベッドならぬアルモカベッドの想像に輝いていた。
「はぁ……」
 エレインはため息とともに肩を落とした。
 知ってる、バンはそういう(ひと)だ。
 気安くエレインの名を呼んだり、裸になって見せたり、エレインを抱きかかえた挙句ひとりで勝手に寝てしまったり。彼の一挙手一投足に、エレインがどれだけ振り回されているか気づきもしない。バンの邪気のなさはエレインの700年の孤独を慰めてくれたけれど、彼の鈍感さは、エレインの自覚したばかりの恋心には厳しかった。
「エレイン」
 それでも、彼に名前を呼ばれるのは胸が高鳴る。彼に当てにされるのは嬉しい。
「うまくいくかしら」
 エレインは半信半疑を装って、しょうがないわねと肩をすくめる。そんな彼女のつれない態度にも、バンはニカッと夏の朝のような笑顔を返した。
「まぁまぁ、俺を信じろって」
 エレインがバンのちょっとした言動に一喜一憂しても、バンがエレインの態度に動揺することはない。その違いが、エレインの胸をほんの少し重くする。
 アルモカベッド計画は、終始バン主導で進められた。実際に乾かしてみたアルモカの葉は、フワフワとしていて柔らかい。まさに薄紫の羽毛だ。ちょっとした風にさらわれてしまうピンクの葉を眺めていると、エレインも本当にうまくいくかもという気にさせられる。
 次第に胸がわくわくと躍りだす。気づけばエレインまで、アルモカベッド計画に夢中になっていた。バンの集めてきた葉をどうすれば効率的に、また周囲に飛散させずに乾かせるか、風の当て方、強さを工夫する。おかげで作業ははかどり、みるみるうちに乾いたアルモカの葉が山を築くほどになった。
「よぉし! こんだけありゃいけんだろ。ほら、行くぞ、エレイン」
「行くって?」
「上だよ、上。枝からベッドめがけて飛び降りるぜ」
 楽しいぜぇ、と大樹の幹を登り始めるバンをエレインは追いかけた。そして彼が満足する枝の高さに驚く。
「こ、こんな高いところから?」
 アルモカの葉でできたベッドは、はるか下でプラムの実みたいに小さく見える。ここから落ちて、うまくあの的に着地できるだろうか。
「高いのがいいんじゃねぇか」
「高すぎない? 怪我しちゃうかも」
「怖ぇーの? お前は飛べるだろ?」
「だからっ、私はバンの心配をしてるの!」
 ムキになるエレインに、バンはかえって彼女自身が怖いのだと誤解した。わかったわかったと、エレインを子ども扱いしてなだめようとする。バンと男女として寄り添いたいエレインにとって、それは一番プライドを傷つけられる行為だった。
「わ、私は、いや」
 バンが怪我をするのも、彼に子ども扱いされるのも。でもエレインの気持ちは、いつも半分も伝わらない。
「しゃーねーなぁ」
 バンの呆れた声が憎らしい。彼にまた心をつねられたところで、エレインの手を何かが包む。それがバンの手だと気づいたとたんに心臓がはねた。
「手繋いでてやるから、な」
 怖がらないで、一歩踏み出せ。バンの言葉は、なぜか枝から飛び降りる以外の何かを、エレインに勧めているように聞こえた。
 言外に含まれる何かに、エレインは戸惑った。一方のバンは、ニッとあの屈託の無い笑顔を浮べる。次の瞬間にはもう、エレインは腰に回った彼の腕に抱え上げられていた。
「えっ、えぇっ!?」
「ごちゃごちゃうるせぇ、っつーの!」
 の、の発音に合わせて、バンの足が枝を蹴る反動がエレインに届く。ふわりと体が軽くなり、時間が止まった。世界から自分が切り離されたような、刹那の不安。頼りになるものを求めて、反射的に腕を伸ばせばバンの体が支えてくれる。その力強さに、恍惚となる。
「いやっほーぅっ!」
 そして二人は落ちた。長い長い一瞬を。頬で押し分ける風が耳で唸り、世界が縦の色に見える。来るべき衝撃はやわらかくて、二人の体はアルモカの葉に抱きとめられた。ひきかえに、数え切れない薄紅色が宙を舞う。
「成功ー!」
「きゃぁっ!」
 バンが歓喜の声とともに、抱えていたエレインの体を真上に放り上げる。アルモカの葉に混じった二度目の空中浮遊で、エレインは自力で浮かぶ間もなくバンの胸に受け止められた。
「成功、大成功っ、最高だぜ! なっ、エレイン」
 迫る歓喜の表情にエレインは毒気を抜かれる。勝手に飛び降りるなんて、とか、女の子を放り投げるなんて、とか、頭を掠めた苦情はバンの笑顔にたちまち打ち消された。
 ふふっ、とエレインの口から笑みが漏れる。バンも、カカッと笑う。それから二人で大口を開けて笑いあった。
「人間の知恵ってのも悪くねぇだろ?」
『人間には妖精族(俺っちたち)とは違う文化や考え方があるのよん』
 兄の親友の言葉がよみがえる。かわいくない人形や変な音を出す笛を作るのが人間の文化や考え方というのなら、そんなものはいらないと思っていた。けれど、彼が言いたかったのは別のことだと今ならわかる。
 エレインは700年もこの森にいる。アルモカの大樹もその葉の特性も、ずっと昔から知っていた。けれど、こんな遊びを考え付いたことはない。この森で何か楽しみを見つけようと、思ったことすらなかった。
「うん、とっても楽しい」
「いいねぇ、そうこなくっちゃなぁ!」
 喜ぶエレインに、バンはそれ以上に嬉しそうな顔を見せる。きっとこういうことは、ひとりより二人のほうが楽しいからだろう。バンが満足なら、エレインはもっと嬉しくなる。楽しくなれる。
 それから何度も、二人は枝に登ったり落ちたりを繰り返した。必ず二人一緒に、落ちるときは手を繋いで、「せーのっ」と声を合わせて、同時に枝を蹴る。アルモカの葉に埋もれても、二人の手はほどけない。
「あー、おもしれぇ」
 ダイブを十回は繰り返して、さすがに少し疲れた二人は苦労して作ったベッドの出来を堪能することにした。バンは満足そうに横たわり、エレインはその傍らに座った。バンが泳ぐように身を沈めれば、エレインは手に触れるアルモカの葉をすくい上げる。二人が何か動くたびに、どこかでペールピンクが浮かび上がった。
 二人の間に言葉は無い。沈黙が、これほど愛しいものかとエレインはそよぐ風に耳を澄ます。アルモカの葉が擦りあう音、すぐ隣にいるバンの気配が入り混じる、心地よい静けさに浸っていた。
 ここは妖精王の森。目の届く先には生命(いのち)の泉があり、杯からは滾々と水が湧きたつ。この森の王である兄はいなくて、エレインは兄に代わって森と泉を守る聖女だ。
 何も変わらない。何も変わっていないのに、まるで何もかもが変わってしまったかのよう。エレインの心は、今、とても満たされている。
「ここはなーんもねぇのに、なんでもあんのな」
 ぽつりとこぼされたバンの言葉は、まるでエレインの心とシンクロしたかのようだった。驚きと好奇心で振り返るエレインの頬を、迎えるようにバンの手が伸ばされる。彼もまた、ひどく穏やかな目でエレインを見上げていた。
 バンの指が、エレインの柔らかな頬の輪郭をすべる。顎の稜線から耳たぶの裏に忍び入った指先は、エレインの脈のありかをそっと撫でた。それから、ああ、とバンは探し物を見つけたように呟く。
「お前が、いるからか……」
 ため息のように押し出された言葉は、鼓膜以上にエレインの心を震わせる。
 意味深な言葉に、もう一本伸びてきたバンの腕に抱え込まれると、エレインは抗う発想もなく横たわる。ぱふん、とエレインとバンを受け止めたアルモカの葉がはねて、より深く二人は薄桃色の葉に沈んだ。
「バ、バン……」
 声が上ずる。鼓動の加速が止まらない。頬も熱い。彼と並んで横たわったとたん、二人を包むアルモカの葉の山は、もうエレインにとってただのアルモカの葉の山ではなくなっていた。
 ここはベッドだ。バンが言い出したとおり。エレインはそのことを強烈に意識した。バンとエレインの、二人のベッド。ベッドの上で、エレインはバンに抱かれている。
 これは、つまり、そういう、ことで。

 キ、キスくらい、なら……。

 ああ、やっぱりはしたない。エレインはぎゅっと目をつぶって、バンの上着を握り締めた。そうでもしないと、恥ずかしさと不安と、ごまかしきれない期待に風を巻き起こしそうだから。
「…………バン?」
 エレインの気持ちとは裏腹に、待てど暮らせどバンは何もしてこない。うっすらと目を開けて伺うと、彼は目を閉じていた。規則正しい呼吸に、エレインのはち切れんばかりだった心がしゅっとしぼむ。
 エレインは悲しさを堪えて、口を堅く噤んだ。
 わかってない。バンは全然わかってくれない。エレインは人間がつくる不恰好な人形とは違うのだ。血が通い心がある。血肉があるから抱いて眠るにはあたたかくて居心地がいいかもしれないが、バンのせいでのぼせあがってしまったこの気持ちに一体どう落とし前をつけてくれるのか。
 ずるいひと。
 彼に落とし前をつける意思なんてない。そもそもエレインの気持ちの浮き沈みに気づいていないのだから。
 本当に、ずるいひと。
 エレインの心を転がすだけ転がしておいて、拾い上げてはくれない、ずるいひと。一度膨れて縮んだ心は、しわだらけでみすぼらしかった。鼻の奥がツンと痛い。
「バンのばか……」
 本当に馬鹿。でも嫌いになんてなれない。彼を、ただの人間だなんてもう思えない。エレインの口にした馬鹿には、愛すべきひとという意味が付け加えられてしまったから。
「誰が馬鹿だって?」
「ええっ?」
 眠っていると思っていたバンは起きていた。素っ頓狂な声を上げるエレインを、離さないまま彼は言う。声がどことなく気だるそう。眠いことは眠いようだ。
「確かに俺は馬鹿だけどよぉ、慎重すぎるっても、どうかと思うぜ」
 自分が馬鹿だと認めるのなら、慎重すぎるのはエレインを指してのことか。どういうこと? と首をかしげるエレインを確かめないまま、バンは続けた。
「お前はもっとさ、大胆っつーか、知らねぇもんに飛び込む勇気ってのが必要じゃねぇか」
 怖がらないで、一歩踏み出せ。アルモカの枝の上で聞いた言葉がリフレインする。勇気を出せば、飛び込む先はどこでもいいのか。たとえばバンの腕の中とか。

 受け止めてくれるの?

 口に出せないエレインは、やはり慎重に過ぎるかもしれない。だってバンの心がわからない。エレインの切ない想いをこめたサインは見逃すくせに、こうして抱きしめて離さないのは卑怯じゃないか。
 頭上から届く、バンの穏やかな呼吸。今度こそ彼は眠っていて、引きずられるようにエレインのまぶたも重くなった。アルモカのベッド作りに、大興奮の中でのアルモカダイブ大会。疲れてしまって当たり前だ。
「……おやすみなさい」
 アルモカの葉とバンの腕に守られて、あっさりと彼の後を追ったエレインは夢を見る。妖精王の森を出て、世界を旅する夢だった。
 まったく新しい世界に踏み出す第一歩を、彼女は今まさに踏み出そうとしている。期待と不安は、あの枝を飛び降りるときの比ではない。
 エレインはすがるものを探して顔を上げた。応えるように、彼女の手が握られる。繋いだ手の先には、さぁ行こうぜと笑うバンがいた。
 怖がらないで、一歩を。
「せーのっ!」
 ダイブの掛け声は、二人一緒だ。



 エレインは知らない。先に眠ったとばかり思っていたバンが、眠るエレインを眺めていることを。バンは右手をさまよわせていた。その手がエレインの髪をひと房すくい、離れる。本当はもっと彼女の心に近い部分に、バンは触れたい。けれどその気持ちを懸命に押し殺して、彼は自分の上着に添えられた彼女の手を握る。
 エレインは知らない。エレインの言葉をバンが待っていることを。寝顔を見つめる紅い瞳は、優しさと、喉元までせり上がる何かをこらえるような苦しさを湛えている。
 ここから連れ出して。
 彼女が一度でも口にしたならば、彼にはその願いを叶える用意があった。今日のダイブは、予行練習だ。来るべき日、エレインが旅立ちに尻込みすることのないように。寄りかかっていた枝を、思い切り蹴られるように。
 なんて難しいことを考えているわけではないけれど、バンは、エレインがダイブする日を待っている。




あとがき(反転)
初恋に右往左往してるエレインを書くと、危うくジェリコ化(意識しすぎて空回り)しそう。
アルモカベッドでキスする展開も考えましたが、結局キスなしになりました。

2015年11月20日掲載
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