たとえ空を飛べなくなっても ― バン×エレイン

※3DSゲームのサブクエスト、キングの「浮遊」能力をバンが奪うステージより着想。




 「700年、森の外には出てねぇって言ったよな」
「そうよ」
「森の外で何が起こってるか、何も知らねぇって」
「そうね」
「じゃあよ、この森ん中のことなら何でも知ってんのか」
「当然でしょう」
「……ホントかねぇ」
 そんな、ある日のやりとりだった。



 たとえ空を飛べなくなっても



 疑り深い視線は、首をかしげたバンから森の四方へと放たれる。よくしゃべる大きな唇をへの字に曲げたまま、顎を撫でながら彼はエレインが知り尽くしている妖精王の森を大きく見渡した。
 嘘はついていない。エレインには自信があった。700年、長寿と謳われる妖精族でも、寿命の半分を超える年月を彼女はこの森と過ごしてきた。その間に代変わりした動物たちの顔ぶれも、苗木から太く逞しく育った樹々の種類も、エレインの頭にちゃんと入っている。
「じゃ、お前、今から空飛ぶの禁止な」
 森に居座って数日の、盗賊を名乗る青年はエレインの浮かぶ足元を指差した。藪から棒の命令に、当然エレインは顔をしかめる。
「どうして?」
 肩をすくめて、理不尽を訴えた。彼の言うことを彼女が聞かなければいけない道理はないし、第一飛べなくては不便だった。地面に降りる気のない彼女に、バンの手のひらがかざされる。黙ったまま、たっぷり三秒。大きな手のひらを見つめていれば、ふっと何かが体から引きずり出されたような違和感がして、平衡感覚が乱れた。
 ふらりと、体が大きく傾く。よろけた体は、そのまま元に戻ることなく地面に落ちた。膝からぺたんと座り込んでしまったエレインは、わが身に起きた異変に理解が追いつかなかった。
「あれ?……あれ、れ?」
 どうしたことだろう。どんなに念じても、浮かび上がらない。日ごろ感じない、手足の重さで地面に縫いとめられている。初めての感覚に、戸惑うエレインは唯一の他人であるバンを見上げた。そして、彼の、エレインを見下ろす表情にはっとした。
「あなたの仕業ね?」
『強奪』(スナッチ)ってんだ。賊っぽいだろ?」
 悪びれた様子もなく、ニヤニヤと笑うバンにエレインは柳眉を逆立てる。初対面で、エレインから生命(いのち)の泉を奪った能力だ。
 力を返してと、彼に掴みかかろうとしたが足がもつれてつんのめった。無様な姿を、バンは大して遠くない場所から見下ろしている。エレインの手が届かないと、高をくくっているのがよくわかった。
 悔しい。
 どうにか一矢報いたくて、エレインは膝を立てた。慣れない手順で立ち上がる。自分の体重が膝から足へ、そして足の裏から地面に伝わるのがわかった。踏みしめた地面から跳ね返る、小さな石がちくちくと当たる感触は奇妙だった。
「人間って、こんな風に歩いてるの?」
 左右の足に均等に体重をかけることすら、浮力を失ったエレインには難しい。歩き出そうとしても、まっすぐ前に進めずよろよろと斜めに歩いた。
 石につまずいて、あわや転びそうになったところ受け止めてくれたのはバンの腕だ。
「へったくそだなぁ」
 彼女をよちよち歩きにした張本人が、エレインを抱きとめて笑う。悔しさは募ったけれど、支えてくれる腕の力強さにどきりとした。人間の男の腕は太くて硬くて、エレインの重さくらいではびくともしない。こんな風に、エレインのために差し出される腕を彼女は今日まで知らずにいた。
 バンはエレインを抱え上げると、生命の泉のほとりまで移動した。その場に下ろされると、冷たくて柔らかい土の感触が足の裏に触れる。泉で湿った土の上は、乾いた地面よりはずっとエレインの足に優しかった。
 同じくらい優しげに、差し出されたのはバンの両手だった。彼に手を引かれて、エレインは歩きたての赤ん坊のように泉の縁を歩いた。ひんやりとして、すこしぬるりとした土の感触が面白くて、つい唇がほころぶ。バンが手をつないでいてくれるから、転ぶ心配はなかった。
 しばらく歩いていると、自分の目の前で、後ろ向きに歩く彼の視線を頭に感じてエレインは顔を上げた。
「どうした?」
 立ち止まったエレインに、倣ったバンが尋ねる。彼を見上げる首の角度に、エレインは新しい発見をした。
「バンって、背が高いのね」
「今更かよ」
「だって、飛んでるときは気づかなかったわ」
 やりとりする声の遠さに、エレインがバンに視線を合わせられている間は、まるで気にならなかった身長差をありありと感じる。エレインと向かい合って、こんなにも視線の高さが違う人は妖精族にはいなかった。だからだろうか、楽しかった気分がほんの少し小さくなる。エレインよりずっと高い場所から、彼女を見下ろせる彼が羨ましいのかもしれなかった。
「バンは、背が高くて良いわね」
 背が高いことで具体的にどんな良いことが訪れるかわからないまま、エレインは羨む。バンはそんなエレインの隙を埋めるように苦笑いを浮べた。
「高すぎるっつーのも、都合が悪ぃけどな」
 妖精族は言わずもがな、エレインがこれまで出会った人間の中でもバンの身長は群を抜いている。人間は群れで行動する生き物だから、身長でもなんでも「飛びぬけている」ことは良いこととは限らないらしかった。
「でけえってだけで、おっかながられることもあんだぞ」
 お前には縁のない話さ、とバンは肩をすくめた。彼の心の水鏡に、あまり見たいとは思えない光景が浮かび上がって、エレインはそっと瞼を伏せた。エレインの小さな手を握る、バンの大きな手が自然と目に入った。
 歩き方を教えてくれる、バンの手は優しかった。あたたかくて、大きな手を持つ彼が素直な心の持ち主であることもエレインは知っている。けれど、彼の見てくれが、初対面の相手に優しくないことは認めなくてはいけないだろう。彼はきっと、その大きな体でとてもたくさんの損をしている。
「バンは、優しいのにね」
 たまらずこぼれたエレインの言葉に、バンがくすぐったそうに笑う気配がする。
「誰でも優しいわけじゃねーぞ」
 彼の返事に、優しくされている真っ只中のエレインの方がくすぐったくなった。手をつないで、向かい合ってはにかむ二人を、生命の泉の水面だけが見つめている。
「次は木登りといこうぜ」
 かなりまともに歩けるようになったからと、バンは話題を変えるついでに大樹の幹を指差した。もちろん木登りも生まれて初めてなエレインは、バンの手を頼りにするしかない。樹皮に出来たくぼみやでっぱりを、バンに指差されながら登っていく。腕を伸ばし、足を踏ん張るたびに、視界が一段、まだ一段と高くなっていく様は不思議な高揚感をもたらした。
 知らなかった。
 荒い息の裏で、エレインは心の中で叫んでいた。樹の幹にこんなにたくさんの凹凸があっただなんて。足で踏む樹の皮がこんなにやわらかいなんて。爪の間に入り込む、黒い土の湿った匂い。枝の裏側に住む虫たちが、エレインたちに驚いて逃げ惑う姿。知らなかった。いつも上から見下ろすばかりで、遠くから眺めるばかりで、森の息遣いや虫たちの小さな営みがエレインの意識に留まることはなかったのだ。
「あははっ」
 エレインは笑った。突然の声に、先を行っていたバンが振り返る。彼の紅い瞳はエレインを映して見開かれ、そして優しく眇められた。大きな手がエレインに向かって降りてきたけれど、彼女は首を振って自分の力で登りきった。
「ドキドキしてる」
「運動したからな」
「うん。こんなの初めてよ」
 生まれて初めての木登りで、初めてたどり着いた枝の上でエレインははしゃいだ。白いドレスのあちこちについた、土や樹皮の汚れさえ誇らしかった。
「飛べなくても、こんな高い場所まで来れるのね」
「さっすがにこの高さはレアだろ!」
 妖精王の大樹の上にたたえられた、生命の泉をさらに見下ろせる場所だ。大きく開かれた眺望に、エレインは口に手を当てて笑い声を上げた。
「あそこの街が見えっか?」
 枝の上に立ち上がった、バンが遠くを指差した。目を凝らしてみるけれど、広すぎる世界に目がくらみそうになる。
「どこ?」
「あそこだよ」
 埒が明かないやりとりに、焦れたバンがエレインを抱え上げる。登りきった枝の、さらに高い場所に引き上げられて、エレインはとっさにバンの首にしがみついた。
「ほら、俺の指の先、見てみな」
 エレインに頬を寄せて囁く、バンの声に視線を導かれる。同じ視線の高さでバンの指の先を見つめて、ようやく人里らしきものを発見した。
「あそこで、俺はお前の話を聞いたんだぜ。あそこの奴らは、お前を女神みてぇに崇めてやがる」
 頬をくっつけあったまま、バンはそう語った。それから、そこから見える人里ひとつひとつをバンはエレインに説明してくれた。けれど、エレインの頭にはまるで入ってこない。泉のほとりであんなに遠く思えた、バンの顔がすぐそこにある。枝を登りきった後よりもずっと鼓動が激しくなるのだ。
 どうして? もう、木登りは終わったのに。
 一度は、バンの顔が遠くなってしまったことが不安だった。この場所にたどり着いてようやくバンの顔が近くなったのに、安堵するどころか心臓が暴れまわっている。いくら高いといっても空気が薄くなるほどの高さでもないのに、エレインは自分の体がどうかしてしまったのかと不安になった。
 バンの息遣いが聞こえる。触れ合っている場所から焼けただれてしまいそうで、そわそわと落ち着きをなくすエレインにバンが怪訝そうな顔をした。鼻先が触れ合いかねない距離に、エレインはますます身を縮めていく。
「降ろして良いわ。重いでしょ」
 気遣うフリをして、離れようとするエレインをバンの腕が赦さない。ぎゅっと強く引寄せられる腕の力に、飛んで逃げ出せない今が、何だか嬉しい気がしてエレインはますますわけがわからなくなる。
「お前一人くらい、軽い軽い」
 嬉しそうなバンの笑みに、鼓動が加速するのを止めない。このまま彼に抱きかかえられていたら、たとえ力を返してもらってももう飛び方さえ思い出せなくなりそうだった。
 けれど、
「なら……、もう少し」
「おう、遠慮すんな!」
 はにかむエレインに、バンは満面の笑みで応ずる。
 たとえ空を飛べなくなっても、彼が抱えてくれるなら、何も怖くないような気がした。




あとがき(反転)
今日は(勝手に)バンエレ片腕だっこ記念日。
バンの強奪はやろうと思えば魔力や気力も奪えるんでしょうか。とりあえず、今回は奪えるってことで。

2016年3月7日掲載
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