強奪者は虚しさを知る ― バン×エレイン





 妖精王の森で、時間は静かに流れるものだ。この日も、バンのエールラベルコレクションの話題がひと段落するやいなや、森は静寂に包まれる。生命の杯から水があふれ泉に注ぐ水音、姿の見えない鳥のさえずり、通り過ぎる風が起こす木の葉のざわめき。音は音でも、沈黙に類するそれらは森の静謐を破らなかった。
 この森で、沈黙をかき消すものがあるとすればそれは人の言葉によるもので、人語を語るたった二人が今はどちらも口を閉ざしている。昼下がりを通り過ぎた沈黙は、居心地の悪いものではなかったけれど、バンは落ち着かなかった。
 バンは、すぐ隣に腰を下ろすエレインに目を向ける。今日の彼女は、やけに静かだ。何かあったのか、そうバンが口を開こうとした矢先、口数が少ないと思っていた彼女が先手を取った。
「バンの、あの力は魔力よね」
 あの、と言うエレインの琥珀の瞳は生命の泉の杯に向けられている。初めてエレインと対峙したとき、彼女の体越しにバンが生命の泉を手に入れたことを指しているのだと察した。



 強奪者は虚しさを知る



「知らねえ」
 バンが操る三節棍は、剣よりはリーチが長いが鞭や鎖鎌には及ばない。その鞭や鎖鎌を駆使しても届かない距離を突き破った力を、エレインは「魔力」と称した。その推察を、知らないの一言で無下にされたエレインは、小さく首を傾げてバンを見上げる。木漏れ日を閉じ込めたような彼女の金髪が、細い肩の上でサラサラと揺れた。
「自分のことでしょ?」
「たぶんそうなんだろうけどよ、誰も教えちゃくんねーし、俺は便利だから使ってるだけだ」
「だったら魔力ってことにしましょう。いつから魔力に目覚めたの? 生まれつき?」
 妖精族は生まれながらに力を持つと聞く。比べて人間は、魔力を持つもの自体が稀であるし、生まれつき持っていた者からある日突然発現した者まで様々だ。妖精のエレインは、人間がいかにして魔力を持つようになるのか気になるらしかった。
 この森に立ち入ってから、バンがエレインに対して抱く印象は徐々に変わっている。初めは、いとけない外見の割には冷たい女だと思った。人間はこうだと決めつけて譲らず、そこから逸脱するバンの行動にいちいち戸惑っていた。それが言葉を交わすにつれ、まるで氷がとけだすように、凝り固まっていた彼女の心から人間への好奇心が覗くようになった。バンの魔力に対する質問も、その延長だ。
「シラね」
 気の向く限り、バンはエレインの問いかけに答えてきた。自分の話を正面から受け止めてくれるというのは、気分が良い。何より、バンの話に頷き、首を傾げ、笑う彼女の姿が見ていて楽しかった。
 けれど、今日彼女が持ち出した質問にバンの口が重くなる。適当にとぼけると、バンの誤魔化しを敏感に察知したエレインの表情が曇った。
「こんなこと、あなたに言う権利が私に無いのはわかってる。でも、あなたの嘘は聞きたくないわ」
 知らないという嘘を見抜かれた以上に、エレインの声のトーンがバンを動揺させる。エレインが笑うと嬉しく感じるのと同じくらい、彼女の悲しい姿を前にするとバンはひどく焦った。出会った時の、彼女の無感動な横顔までちらついて、なおさらバンを追い詰めていく。
「……十五年くれぇ前の話。正確にゃ覚えてねぇけど」
 慌てたおかげで、いつもより早口でバンは自分の過去を明かした。
 いつものようにガラの悪い男たちに因縁を付けられ、袋叩きにされているさなかだった。一方的な暴力は止まず、バンの脳裏に死の文字が浮かぶ。振り下ろされる硬いものから身を守りながら、バンが考えていたことは単純だ。

 死にたくない。

 死にたくなければ戦わなければいけない。戦うためには、武器がいる。自分をなぶる男たちの、誰か一人の手から得物を奪えれば活路が見える。

 武器が欲しい。
 それは俺のだ。

 そう強く願った次の瞬間、バンの手の中には武器があった。振りかぶったはずのそれを奪われ、空っぽの手のひらを男のひとりが驚いたように見つめている。その隙を、バンは〈強奪〉したばかりの武器で狙い打ちした。
「まぁ、きっと、あれが最初だ」
 それから似たようなことを重ねていくうちに、バンは自分の中にある人ならざる力を確信した。盗みを働くにはこの上なく便利な能力は、バンに生き延びる道を与えた。滅多とない能力を買われて、高い報酬で雇われたことも何度かある。約束通りの報酬を受け取れたことは少なかったけれど。
「今思えば、いいように使われてたんだろうけどな。無いよりゃマシだ」
 肩をすくめて笑って見せても、エレインは答えない。彼女の顔を見れば、案の定、この世の影に沈んだ表情を浮かべている。
 バンが自分の生い立ちを語るたび、エレインはよくそんな顔をする。バンが見たくない、出会ったころの氷のような無表情とも、帰らない兄を想う寂しげなそれとも違う。例えるなら、手の届かない何かに触れたそうにしているもどかしさ、はがゆさ、そんなよく理由のわからない感情をまとった彼女にバンの胸はざわめくのだ。
 だから、知らないと嘘をついてまで、バンはエレインに自分の昔にまつわる話をしたくなかった。
「お前の、あの風の力は?」
 どうにか話の矛先を変えたくて、逆に問い返せばエレインが目を見開く。バンから尋ねられることが意外だったのか、少し呼吸を整えてから彼女は答えた。
「妖精族の魔力は生まれつきよ。でも、あなたを吹き飛ばした風はこの森の恩恵なの。森を守る代わりに、私に力を貸してくれる……」
「守るための力、ね」
「バンみたいに、自分から何かを変えるためのものじゃないわ」
 そう言ってエレインは、力ない笑みを見せる。わずかに含まれる自嘲に、彼女の複雑な表情の理由がバンにも見えかけた。
 エレインは、受け身な力を、運命を受け入れるだけの自分を心のどこかで嘆いている。気丈な彼女は決して自分から口に出さないだろうけれど、この大きな鳥かごから飛び出して自分の力で道を切り開いてみたいのかもしれない。
「なら、俺が……」

 奪ってやろうか。

 声に出した続きを、バンは飲みこむ。それはバンには珍しいためらいだ。
 裏切られても、殴られても、バンが相手に向ける怨念は長続きしない。恨みつらみといった粘着質な感情は、カラリと乾いた夏の早朝のようなバンの気性に似つかわしくなかった。
 人を深く恨んだりしないかわりに、バンは人に恨まれることも気にしない。自分の言動が人にどう作用するか、むしろその一切を考慮に入れることなくバンは生きてきた。そのバンが、今、自分の言葉に対するエレインの反応を慮って躊躇している。
「バン?」
 バンが言い淀んだ言葉の続きを、エレインは待っていた。
 バンがエレインをこの森から連れ出そうとすれば、彼女は間違いなく嫌がる。戻らない兄のこと、委ねられた泉のこと、この森が繋ぐという彼女の故郷のこと……、彼女にはここに留まる理由がありすぎた。そうでなければ、700年もの長きにわたって、こんな退屈な場所に縛られてはいられまい。
 700年の間、どれだけの人間が悪意を持って彼女の前に現れたのだろう。バン自身も、その中のひとりだった。だが同時にバンは知っている。庇護者もなく、慰めてくれる者もなく、孤独に戦い続ける苦しさを。
 そう考えたら、言葉は自然にバンの口をついて出た。
「……俺も、そんな力だったらな」
「そんな力って?」
「お前みてぇに、大事な何かを守れる力」
 バンの魔力が、奪うのではなく守るためのものであったなら、バンデット以外の未来も見つかったことだろう。例えば、国を守る聖騎士にだってなれたかもしれない。柄ではないと思いながらも、可能性に胸が膨らむ。
 たった一人で一国の軍に相当する聖騎士ほどの力があったらな、それが守ることのできる魔力だったなら、自分は何をしたいのか。
 真っ先に、何を守りたいと思うだろうか。
「あなたは、何を守るの」
 バンの思考に、エレインの声が重なる。
「お前」
 答えは、迷いなく定まっていた。



 結論を言えば、バンはエレインを守れなかった。バンの魔力は奪うことのみに長けていて、魔神の心臓ひとつ奪えたところで事態を好転させることなどできなかった。
「最後まで、言わせろよ……」
 守りたかったものは、奪いたかったものと同じだ。命をかけてでも欲しいと願ったものは、バンの手から零れ落ちる。
 そうしてバンは、何かを守りたいという意志すら失った。不死となった今では、自分自身ですら守る必要もない。バンにしてみれば、不死とは命がないのと同義だった。彼女のために、かける命さえバンは持たない。役立たずの、魔力ばかりが有り余っている。
 バンはいたずらに力を使った。国中のぬいぐるみを盗むのも、戦闘中の仲間の体力を奪うのにも理由はいらなかった。
「オイラは悲しいよ、バン!」
 デブの同僚の悲痛な訴えが耳ざわりだ。妖精族のくせに、彼女に似ても似つかない。似ていたところで不愉快には違いなかったけれど、おとぎ話の妖精めいた生ぬるい優しさが気に入らなかった。
「うるせぇ、クソデブ」
 持ち主を想って、太った同僚は涙を流す。流す涙を持っている同僚は幸せ者だ。バンにぬいぐるみを奪われた子どもたちも、幸せ者だ。彼らはいずれ、代わりを与えられるだろう。
「キミってやつは!」
「うっぜ~」
 奪うしか能のない自分を、バンは愉しみ、心の底で嘲笑う。デブの、キングの言う通りだ。俺って奴はつくづくろくでなしだと、酒の回ったご満悦顔の下でバンは罵る。
「ごちゃごちゃぬかしてっとブッ殺すぞ」
 守るものなんてない。奪うしか能がない。このろくでなしの聖女殺しを、誰か殺してくれないだろうか。きれいさっぱりやってくれるなら、キングにだって感謝のハグをしたっていい。
 不死の力が、欲しいならくれてやる。だから余ったこの命を、彼女に渡してやってくれないだろうか。リオネス中のぬいぐるみを返して回れるほど暇なら、彼女の命を返しに行ってやってくれ。
 ぬいぐるみに囲まれて、バンの瞼が落ちていく。夢と現の狭間に、彼女に会う幻を見る。明日もきっと、終わりない日が続くのだろう。
「地獄だな……」
 虚しさに、バンは終わりを望む。叶わぬ望みを抱えて、バンは今日を生きている。





あとがき(反転)
バンさん、聖騎士として特に訓練を受けたわけでもなく、外伝の時点で魔力持ちだったとしたら相当の天才?
そしてなんでぬいぐるみだったんだろう。

2015年8月22日掲載
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