約束の花園 ― バン×エレイン





 そこは深い森の中だ。
「まだかよ」
 前を行くバンが言う。声に含まれる焦れた気配に、エレインは彼の後ろでほくそ笑んだ。
「まだまだ。あ、右手に樹があるわ、よけて」
「チッ。この歩きにくいの何とかなんねーのか」
 バンの右手が伸び、エレインが予告した樹に触れて衝突を避ける。わずかにズレた進路をエレインは声だけで修正させた。
「文句言わないの」
「つまんねー場所だったら承知しねーぞ」
 バンはこれから自分がどこへ行くか知らない。それどころか、どこをどう歩いているのかもわかっていない。彼の両目は塞がれていて、塞いでいるのはエレインの両手だった。エレインはバンの肩甲骨のあたりにもたれかかり、けれどほんのすこし浮いている。宙を飛んでいるから、彼にはほとんど重みはかかっていない。それでも視界をさえぎられたまま、ろくな獣道もない森を歩かされるのはバンには一苦労だろう。
「ほら、足元気をつけて」
「気をつけろっつってもなぁ」
 見えねぇんじゃ……、と言うなりバンの足が木の根にひっかかる。目隠しされたままそれでも器用にバランスをとるバンの肩上で、ゆらゆらと揺られるエレインは彼の悪戦苦闘を楽しんでいた。



 約束の花園



 「じゃーん!」
 バンのまぶたが持ち上がると同時に、エレインは凹凸の小さな胸を張った。目的地についても、エレインはすぐにバンが目を開けることを赦さなかった。散々焦らされた挙句の許可に、バンの紅い瞳は見開かれた。彼の視線の高さの先、エレインの斜め後ろの、こんもりとした緑の塊に釘づけになっている。
「なんだこりゃ」
「ベンチ」
 緑の塊は、目を凝らして見ると太い枝に支えられているのがわかった。枝は傍らの巨樹から地面と平行に伸びていて、ちょっとやそっとでは折れそうにない。緑の塊の正体は、その枝にまとわりついたたツタや、直に生えてきた苔、芝のたぐいだった。
「こっちよ」
 エレインはバンを呼ぶ。バンがエレインの後に続いて回り込むと、顔を出したベンチの座面に、彼女は座るように言った。
「いいのか?」
「ベンチだもの」
 遠慮なく、とエレインは両手で示す。バンは持ち前の身軽さで木の枝に乗った。尻が落ち、背中が緑の背もたれに預けられた瞬間、エレインは期待に総毛立つ。バンの瞳はエレインの期待通り、かつてない大きさで彼女を映した。
「フワッフワじゃねーか!」
「でしょー!」
 期待通りの反応にエレインのトーンも上がる。
 ベンチに生えた苔や草は、最高級の絨毯にもひけをとらないやわらかさで体を受け止めてくれる。巨木の枝や地面で寝起きしていたバンには、たまらない心地よさのはずだった。
「私も隣、いいかしら」
「おう、座れ座れ」
 バンは我が物の顔で、空いた座面をぽんぽんと叩く。すっかり気に入った様子のバンに、エレインはおかしさをかみ殺した。
 エレインが座るとちょっと窮屈な、でもぴったりのような、妖精サイズのソファに二人の体が密着した。エレインが見上げると、近い距離でバンの笑みとぶつかる。
「自生じゃねぇよな」
「まさか、作ったのよ」
「ならよ、もうちっと場所を考えようぜ」
 バンが指差すのは、幾重にも垂れ下がったツタや枝。せっかくのすわり心地が、この見晴らしの悪さで台無しだとバンは不満を訴える。その言葉を待っていたエレインは、ふふと笑った。
「んだよ」
「まぁ、見てて」
 エレインはバンが文句をつけたツタの間に手を差し入れ、ゆっくりと左右に開いた。ツタはカーテンのように分かれ、割れ目から明るい光が差し込んでくる。慣れない目がわずかに眩み、すぐ傍らでバンが息を飲んだ。
 こちらを振り返る彼に、エレインは唇の前で指を立てて沈黙を命じる。そしてバンの側に寄せたツタを彼に引き受けてもらった。二人で広げたパノラマに、バンの目が吸い寄せられる。まるまると見開かれた彼の瞳に、映るのはカラフルな花畑だ。
 エレインの言いつけを守って、また目の前の光景に飲まれ、バンは口を利かずにいる。彼に倣い、エレインもまた口を閉ざしたまま彼を虜にする景色に目を向けた。太陽の光にかすみがかった空間に、淡い色彩が無数のしずくのように散らばっている。
 花畑の大きさは、生命(いのち)の泉がある広場と同じくらい。だが申し訳程度の草木しかない広場と違って、ここは花と緑であふれている。深い森でそこだけ背の高い樹もなく、くりぬかれた青空は何者にも遮られることなく日差しを届けていた。日の光をたっぷりと浴びた花は咲き乱れ、その芳香が幾重にも混ざり合い二人のベンチにまで流れてくる。
 エレインは黙ったまま、指を差した。バンの紅い視線が追う。不規則に揺れる花群から、一匹の仔狐が顔を出した。目を凝らせばもう一匹。毛色がそっくりの、きっと兄弟であろう二匹が花々の合間で戯れている。
 エレインはまた別の場所を指差す。花びらで羽を休め、蜜を吸う蝶。飛び交う小鳥たち。ちょっと大きな音を立ててしまえば、たやすく壊れてしまう華やかさ。おとぎの国から取り出してきた光景に、直情的なバンさえ言葉を失っている。
 迂闊な声は目の前の世界を害すだけ。バンの真摯な横顔に、むしろエレインの瞳と心は強く引き寄せられていく。琥珀色のまなざしは、彼を映して誰にも気づかれずほとびた。
 ひかえめな熱視線は、バンの意識をさらうにはいたらない。だからエレインは、花園の住人たちを驚かせない程度の声をバンに向ける。
「兄さんからのプレゼントだったの」
 エレインの兄が妖精王であることはすでに告げた。その兄の能力を、エレインはバンに敷衍する。植物の成長を促し、一方で植物を間引く。兄の力は、森の健康を保つためのもの。妖精界の防御壁たる、この森を適切に維持することが王たる兄の役目だった。
「王様ってのも楽じゃねーのな」
 花ひとつ育てたことのないバンは、エレインの兄が管理していた森の大きさを思ってため息をつく。めんどくさいとでかでかと書かれた横顔に、エレインは笑った。
「兄さんは好きでやってたみたい」
「まじかー。気の合う予感が1ミリもしねぇ」
 兄は王として、ひとりの妖精として、この森を愛していた。同時に彼は、森への干渉を必要最小限に留めるよう努めてきた。その兄がこの箱庭を作った。エレインのために。彼女の300歳の誕生日を記念して。
「700年前、兄さんとこうして並んだわ。ベンチに座って。あのときは、生まれたての小鹿が遊んでた……」
 あの日の光景を、エレインはすべて覚えていた。兄が何と言い、どんな顔でエレインの新たな年を祝福してくれたかも。それが二人で祝う、最後の誕生日になってしまったから。
「700年前が300歳って……お前、今、1000歳なワケ?」
「気になるのはそこ? まぁ、だいたいね、1000歳くらいかな」
「ってこたぁめちゃくちゃババアか!」
「ばっ……」
 エレインは息を詰めた。バンの発した単語に、ひどくショックをうけた。人間のバンにとって、エレインの年齢は気も遠くなるような年齢なのだと、彼との感覚の違いをエレインに知らしめる。心がすくみ、彼にひそかに向けている淡い想いが青ざめていった。
 エレインは顔を伏せる。目に入るのは、膝の上に置いた小さな自分の手。皺もシミもないけれど、見てくれがどうであれ彼女が生きた年月はバンの常識を凌駕する。老婆の蔑称が、彼女の成長の止まった胸に深く突き刺さった。
「悪かった」
 さすがにまずいと思ったらしい、バンの謝罪が彼の手のひらと共に頭上に落ちる。言葉遣いはさておいて、事実を口にしただけの彼に罪悪感を抱かせたことをエレインは申し訳なく思う。その一方で、彼の優しさを享受している今を大切に胸にしまった。だがそれも、バンの指がエレインの髪をすくい上げ、小さな耳を露にするまでの話だった。
「ババアってのはナシだ。こんなちっせぇかわいいババアがいるはずねーもんな」
 外耳のふちをなぞる彼の指。耳たぶに触れる彼の息。そして鼓膜を震わせる彼の声。エレインを「かわいい」と紡いだ響きにカッと頬が熱を持った。
 「かわいい」って言った! 今、バンが、私のこと「かわいい」って!
 地の底を這っていた気持ちが、たやすく雲の上まで引っ張り上げられてしまう。それが恋の力だ。
「そ、そういう、バンはいくつなの?」
 臆病にも話題をそらしてしまう自分を、バカバカバカ、とエレインは心の内で罵る。
「23、たぶん」
「たぶん?」
「ひとつふたつはズレてっかも。だから、たぶん」
人間(バン)だっていい加減ね」
 約1000歳と約23歳では全然意味が違う。エレインはバンの肩を小突いた。
 二人は小さく笑って、そろって正面に向き直る。ちょうど仔狐たちが花園から出て行こうとしている。彼らの前を一回り大きな狐が歩いていて、よく似た毛並みは仔狐たちの親だろうか。
 獣が去り、今度は蝶が花畑を独占する。しかし彼らは花には止まらず宙を舞った。ひときわ大きな塊は、一匹ではなくつがいだった。
 あれは愛のダンスだ。オスがメスを求め、メスがオスを受け入れる舞いに、エレインはどきりと胸が鳴るのを感じた。傍らのバンをちらりと見上げて、エレインはこっそりと頬を赤らめる。
 兄がこの森を出て700年、エレインは幾度となく彼らのダンスを見てきた。蝶たちは季節ごとに代変わりをしていく。親のいない空で、彼らは誰に教えられるわけでもなく、本能に刻まれたダンスを狂いなく繋いでいく。そこに生命の尊さこそ見出すことはあっても、胸をときめかせるような何かを、エレインが拾い上げたことはない。その「初めて」がなぜ今起こったのか。バンの傍らで、エレインはその意味を意識する。彼と触れ合っている腕や肩が、みるみるうちに熱を持った。
「お前が、面倒見てきたのか。700年」
 バンは何も気づかない。エレインの緊張も、動悸も、花園に夢中な彼には届かない。彼の質問にエレインは首を振った。
 エレインがこの場所に足繁く通っていたのは、兄がいなくなった当時だけ。今となっては、遠い昔を思い出しエレインの心をしおらせるばかりの場所だ。それでも花園(ここ)が美しいのは、兄の魔力せいだろう。妖精界で森を見守ってきたように、兄の王たる力がこの場所を今なお包んでいる。
「ここの花が枯れない限り、兄さんは生きてるのよ」
 生きていてくれるのなら、還ってくる望みもある。いつかまた、一緒にこの景色を眺められる日が来ると、エレインは花園が見せるかそけき希望にすがっている。
「俺も祝ってやろうか」
 バンが、軽い調子で申し出る。
「本当?」
 エレインの胸は大きく高鳴る。新しい希望が、まるで天使の梯子のようにエレインの心の雲を突き抜けた。
 望んでいいの? ひとりぼっちじゃない誕生日を。
「誕生日、いつだよ」
「少し前に終わったわ」
「なら、次まで時間はあるわけだ」
 バンの言葉には、いつだってエレインの心を揺さぶる魔力が込められている。蝶のダンスよりずっと激しく、バンの魔力はエレインの恋を、心を奪っていく。
「バンの、誕生日はいつなの?」
 バンが応えた日付は、エレインのそれに少しだけ近かった。
 一緒に祝うか、と彼は笑う。芝居っけのない笑顔に、エレインの心臓がバクバクと音をたてる。二人の誕生日は終わったばかり。祝うのなら、また季節がひとめぐりするのを待たなければいけない。
「バンは、プレゼントなら何がいい?」
 待ってくれるの?
 エレインは、声にならない問いを込めてバンを見る。春が過ぎ、夏が終わり、秋が暮れて、冬を越える。世界がくるりと一回りしても、彼はこの森に、エレインの傍に、い続けてくれるのだろうか。
「おっ、くれんのか? そうだなぁ……」
 悩み始めるバンを見つめながら、エレインは願った。どうか彼が、二人の誕生日までの日数に考えをめぐらせませんように。どうかこの約束が、反故になりませんように。
 また密かに、エレインは兄に赦しを乞うた。兄妹二人だけの秘密の花園を、バンに見せてしまったことを詫びた。そして兄と作った花園の思い出を、バンとのことで上書きしようとしていることも。
 ここは、もう還らない兄の思い出にすがる悲しい場所ではない。次の誕生日を二人で祝う。そうバンと約束を交わした、希望の園だ。
 あげてもいい?
 ここにいない、兄に尋ねる。このベンチも、ここから見る花園の景色も、二人きりの誕生会も。バンが望むなら、何だってあげてしまいたい。いてもたってもいられない熱い気持ちを、兄はわかってくれるだろうか。
「エレインは、何が欲しい?」
 バンの誕生日も、エレインの誕生日にも、一緒にいられたら良い。一度じゃなくて何度でも。それはエレインにとって、兄の花園に負けないプレゼントだった。





あとがき(反転)
「ゲット・アップ・ルーシー」のルーシーがエレインっぽい。なんて。
18巻限定版のカレンダーで妖精王の森焼失の日が判明(=バンエレファーストコンタクトの日付が判明)した祝いに。
”憧れの森のなか、歩いてるけど目は閉じたまま”「ゲット・アップ・ルーシー」by THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

2016年4月28日掲載
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