「今回の件で一番の驚きは、バンの恋人がキングの妹だったってことだな」 メリオダスの言葉を受けて、エリザベス、ディアンヌ、ゴウセル、そしてホークがキングに視線を寄せた。妹との別れを惜しんできたばかりのキングは、仲間たちの傍らで背を向けたままだ。 「妙な縁もあるもんだ」 「エレイン様、とおっしゃいましたね。お顔を拝見してみたかったです」 「バンもキングも、古の妖精王に似ていると言っていたな」 「てことは、めちゃくちゃ可愛いよね。バンにはもったいないよー!」 「まったくだぜ。どこでひっかけやがったんだ、バンの野郎」 仲間たちが口々に告げる妹への感想に、キングは小さく苦笑いを浮かべる。特に最後の、ホークの台詞にはキング自身共感するところがあった。バンとエレインがいかにして出会い、心を通わせていったのか。バンもエレインも決して多くを語ろうとしない。死者の都でエレインから聞かされた「たった7日」という時間の短さにも、キングは腑に落ちないものを抱えていた。 「いろいろあったんだよ」 そんなモヤモヤをすべてひとりの胸の内に飲み込んで、キングは仲間たちをふり返った。まさか妹にバンとのなれそめを打ち明けてもらえないから、拗ねているとは気づかれたくない。ようやく彼らに見せた顔は、うまく笑えていただろうか。 「バンは?」 「エレインと。邪魔しちゃ悪いから」 見渡す限り広がる水晶の風景。キングたちのいる場所からは、林立する巨大な結晶の柱に阻まれ、生と死に別たれた恋人たちの姿を見ることは叶わなかった。
聖女の祈り
「元気そうでよかった」 エレインの声は、水晶の柱に反響して長く残った。キングや他の人たちの前では、終始陽気にふるまっていたバンは静かだ。 水晶の塊に腰を下ろし、エレインと同じ高さの顔を伏せているバンは、先ほどから言葉を忘れてしまったかのように口をつぐんでいる。このまま彼は、何も言わずにいるつもりだろうか。 別れを惜しむ時間は、そう長く与えられていない。タイムリミットまでのひとときを埋めるよう、エレインはバンの分まで言葉を紡む。 「無茶しちゃだめよ」 聞いていないかと思われた、バンの色味のない髪が揺れる。頷いているとわかって、エレインはさらに続けた。 「兄さんとは、仲良くしてね」 今度のバンは、声を出さずに笑う。無理を言うな、ということだろうか。兄も同じ反応だっただけに、ルイジとエレンに導かれて死者の都に訪れた時より、二人の関係が改善されているのがわかっておかしかった。 「それから……、幸せになって」 エレインが口にしたのは、あの再会の場で、彼に伝え忘れた願いだった。そこでようやく、バンが顔を上げる。ルビーのような紅い眼差しがエレインを捕えて、それからエレインに右手を差し出した。素直に左手を重ねれば、バンの左手が差し出される。またそこに右手を乗せると、バンはエレインの両手を優しく握った。 「だったら、お前がいねぇとな」 兄や仲間たちに向ける声とは違う、湖に広がる波紋のような響きが告げる。バンの幸せはエレインそのもの。そう言いたげな口ぶりに、エレインはゆるく微笑む。 「忘れていいのよ」 「ばーか」 手を握る、バンの力が強くなった。笑顔とまではいかなかったけれど、穏やかだった彼の表情がぐっと険しくなる。バンの苦悶にも、エレインは構わず続けた。 「私はどうしたら、あなたに嫌われるかしら」 とうとうバンは、眉間に皺を寄せて目を閉じてしまう。 「黙れよ……」 絞り出すような声は、命令口調でありながら嘆願に近い。バンの望み通り、口を閉じたエレインは握られた両手を見下ろした。 生きたバンの手に包まれるエレインの手は、とうに肉体を失っているとは思えないほどはっきりとした輪郭を保っている。ここにたどり着くまで兄ですら見えなかったエレインの存在を、触れられるほどはっきりと際立たせるのはバンの想いと、そしてエレインの想いが互いに向かい合っているからだ。 初めてバンと果たした、水晶の平原での再会。あの場で、兄がいるのにもはばからず、エレインは自分の気持ちを抑えることが出来なかった。エレインとの思い出が「何にもかえがたいもの」としてバンの中に残っていることを喜び、彼が伝えに来てくれた誓いの言葉に胸を打たれた。 だが今となっては、そんな死者の都を貫く摂理が憎らしい。
この瞬間に、彼の前から消え失せてしまえばいいのに。
バンがエレインを想い、エレインがバンを想うからこそ、バンはエレインの姿が見え、触れることが出来る。もし彼の瞳にエレインが映らなくなれば、握り合った手が空をかいてしまえば、彼はエレインの心が自分から離れたことを知るに違いない。 唐突な裏切りは、一時は彼の心を絶望の海に浸すだろう。しかし、いつしか彼は諦める。新たな幸せを求めて、彼は前に進むことができる。
私なんか、消えてしまえ。
バンの幸せを願って望むことがますます彼への想いを強くし、エレインの輪郭を縁取ることがままならない。愛しい彼のために、自分は何もしてやれない。 「何か言えよ」 エレインの手を離さないで、バンが言う。 「黙れって言ったくせに」 この返事は意地悪が過ぎただろうか。エレインの手を握る、バンの手がわなないた。 「エレイン」 緩んだ結び目を締め直すように、バンはエレインの手を握り返し名を呼ぶ。だがそれ以上は、何も言えない彼に代わってエレインが口を開いた。 「嬉しいのよ。バンのために、私なんか見えなくなった方が良いと思うのに……、バンとこうしていられることが嬉しいの。死者は嘘をつけないのかしら」 「嘘なんかいらねぇだろ」 たとえ死が二人を別っても、想い合うことに何の遠慮もいらないとバンは主張する。二人を阻む生と死の壁にすら唾を吐くような彼の<強欲>に、否定しようのない喜びを感じるエレインは自分の<強欲>さを知るのだった。 死してなお、エレインの心はバンを求める。
好きよ。 大好きよ。
だから、お願い。
「本当に……、幸せになって。それだけだから」 それだけが、エレインの今の望みだ。そのためなら、たった7日共に過ごしただけの妖精の娘ことなんて忘れていい。彼の紅い瞳から自分の姿が消えた時、きっとエレインは泣き崩れるほどの悲しみに襲われるだろうけれど、自分を幸せにしてくれた彼の幸福のためなら耐えて見せる。幸せそうな彼を見守って、笑えるようになってみせる。 エレインの決意を受け取るように、バンは紅い双眸を眇めて頷いた。 「わかった」 エレインの頼みを、バンは拒まない。エレインのために、彼は死者の都で戦い抜いてくれた。元の世界に戻った彼は、自分の幸福のために生きてくれるとエレインは確信する。 「時間だ……」 「ありがとう、バン」 そして二人の手は離される。バンはエレインに背を向け、兄と仲間たちの元へと歩き出す。晒された大きな背中の形を、エレインは琥珀の瞳に閉じ込めながら見送った。
彼に流れる、生命の泉よ。どうか彼を導いて。
切なる祈りは、胸の内にこだまする。だがエレインは知る由もない。彼女がバンに願った想いが、彼により強く彼女の復活を誓わせることを。 『メリオダスという男を、殺しなさい』 聖女の祈りは、愛する彼が無二の友に牙をむく悲劇へと繋がっていく。
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