700年の孤独 ― バン×エレイン

※ノベライズ『セブンデイズ』のエピソードを中心に取り扱っています。





 「殺してやりゃ~よかったんだ、ひと思いに」



 700年の孤独



 もう百年以上昔の話だ。死にかけの母の病気を治そうと、生命(いのち)の泉を求めて妖精王の森に入ってきた少年がいた。悪意はなく、純粋な、しつこいくらい健気な少年は、ほんの、ほんの少しだけバンに似ていた。
 だからエレインは、彼の前でその少年のことを口にした。けれど、バンが見せた反応はひどく冷たい。
「彼にあったのは、お母さんを助けたいっていう純粋な想いだけよ。殺すなんて」
「にしたって、母親のために生命の泉を分けてやるわけにもいかなかったんだろ」
「そうよ。でも、あの子には未来があったわ」
 母の容態を訴える少年にも、エレインはそう諭した。例え彼の母親が死んでも、彼には彼の人生がある。幼い少年が安易に未来を捨てることのないように、エレインはエレインなりに彼を諦めさせる説得を重ねた。
 しかし、エレインの行動はバンの共感を呼ばなかった。あぐらの上で頬杖をついた、彼の顔は何の感情の動きもない。終始淡々とした顔つきは、エレインの浅慮を非難している風にすら受け取れる。
「その年頃のガキが、ひとりで生きてくってのはめちゃくちゃキツいぞ。これ、経験者語るってヤツな」
 天涯孤独となった少年が、心ある人間に拾われるなど奇跡に近い幸運だというのがバンの主張だ。説得力はあるけれど、だからといって殺せとは暴論すぎる。その奇跡に近い幸運に少年が恵まれる可能性はゼロではない。あの子は運を引き寄せる強い何かを秘めていたかもしれない。母の死を乗り越えて、明るい未来を歩めたかもしれない。
 エレインの焦りを込めた反駁に、バンは泰然と「何言ってんだ」と片眉を上げた。
「結局は殺されたんだろうが」
 エレインに追い返された少年は、森の外へ出る途中で盗賊たちに殺された。聖女が殺し損ねたのなら代わりに俺たちがやってやると、彼らは下劣な笑みとともに無力な少年をなぶり殺しにした。
「お前の手にかかったほうが、楽に死ねたかもな」
 エレインなら、森や風の力を借りて、どんなふうにでも少年の最期を決められただろうとバンは指摘する。事実、可能だった。幻覚作用のある花や葉に埋もれさせ、母に抱かれる夢の中で少年は逝くこともできた。
「で、でもっ」
「お前が見逃したせいで、ガキはひでぇ死にざま晒す羽目になったんだよ」
 あの時のエレインに少年の命を取る理由はなかったのに、バンは少年があの後置かれるであろう境遇、ないしは悪党と遭遇して無残に殺される可能性まで考えるべきだったと、エレインを責める。
「お前がやっちまったも同然だ」
 バンの言葉の刃先が、エレインの治りきることのない瘡蓋をひきはがしていく。ぺりぺり、ぺりぺり。剥落していく表皮の下で、古傷は真新しさを取戻し、血を滲ませる。
 懐かしい痛みが蘇って、エレインはきゅっと口を結んだ。
 だいたい、こんな話をしたくて少年のことを持ち出したわけではなかった。ただ、あの少年がバンに似ていた気がしたから。
 いや、違う。確かに思い出したきっかけはバンだった。けれどそんな安っぽい感傷で、あの可哀そうな子について口を開く気になれるはずがなかった。血も凝固しきって、冷たくなった小さな亡骸を前に、立っていることもできなかった記憶をエレインは忘れることができない。
 本当は、バンの同情が欲しかった。命を救ったはずの誰かが、他の誰かの手によって殺される。生命の泉を巡って繰り返される悲劇を、悲劇と思う心さえ凍らせてきた700年の孤独を、バンに慰めてほしかった。
 そんな甘えも二人の間なら赦されると、考えたことが間違いだったのだろうか。エレインの心に、いつも思いがけない明るさを灯してくれるバンは、今日に限ってちっとも優しくない。
「どうして、そんな……ひどいことばかり、言うの……」
 バンの言葉が正しいだなんてとても思えない。けれど、彼が彼なりに導き出した答えを、論破できるだけの根拠をエレインは持ち合わせていなかった。
 兄ならきっと、バンに負けない信念で殺戮の是非を述べただろう。あの少年を生かしたにしろ、殺したにしろ、その判断をバンにどう言われようと兄は揺るがなかったはずだ。エレイン(いもうと)を守り、同族(なかま)を守り、妖精界(ふるさと)を守ることに、ハーレクインは迷いを持たない。その強い意志があるからこそ、彼は神樹に妖精王たる者として選ばれたのだ。
 エレインは兄のようにも、バンのようにもなれない。悔しいのは、泣きたいのはそのせいだ。何の理想も覚悟も持たず、ただ聖女という役目に従って森に仇なす者たちを排除してきた。その700年がひどく浅はかなものに思えて、心が、皮肉なことにバンによってとけ出していたエレインの心のやわらかい場所が、痛む。
 追い打ちをかけたのは、バンの同情の欠片もない声だ。
「お前向いてねぇわ、聖女」
「そんなこと、言われなくたってわかってる!」
 なりたくてなった聖女ではない。資質があって、選ばれたわけではない。妖精王たる兄がいなくなったから、エレインが消えた妖精王の妹であったから、それだけの理由だ。役目を引き受けてみたものの、エレインとて自分で考えることを放棄し、目を覆い耳を塞いで務めを果たしてきたに過ぎない。そんな自分に、誰かの命の扱いを決める資格があるだろうか。

 何だったんだろう、私の700年は。
 何なのだろう、生命(いのち)の泉の聖女とは。
 兄の代用品にさえなれない、私の700年の孤独の意味は。

 バンの非難にさらされるまで、考えたこともなかった問いに、エレインは頭が爆発してしまいそうだった。どうして自分が責められなければいけないのか。よりにもよって、バンに。こんな不適格者に森と泉を託したのは同族たちで、原因は兄だというのに。
「……うっ、う、…っ……」
 胸からこみ上げるものが、涙になって溢れる。エレインはその場に崩れ落ちた。あの少年の亡骸を前にした時とは、違う理由で。
 瞼の上から手で押さえても、涙は止まってくれなかった。座り込んで泣きじゃくる姿は、外見にふさわしい幼女そのものだ。
 エレインのすぐそばで、バンが膝をつく気配がする。震える肩を抱かれて、エレインは逃げるように身をよじった。エレインが顔を振るたびに、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙の滴が飛び散る。だが最後には、奪うことに長けた彼の手にたやすく捕えられてしまうのだ。
 髪で隠した顔を上げさせられる。次に何を言われるのか、怖くてエレインはバンを直視できない。
 涙をぬぐうことも叶わないまま、エレインに落ちてきた声は穏やかだった。
「やめちまえよ」
 低く響く、バンの声に傷だらけの胸をノックされたエレインは、はたと瞼を開く。滲んだ視界の真ん中で、バンの微笑だけがクリアだった。
「聖女なんかやめちまえ。そんで、俺と一緒に来い」
 わずかに眇められた紅玉の瞳には、涙でぐちゃぐちゃのエレインの顔が映っている。酷い顔にもかかわらず、それを見下ろすバンの目は優しかった。エレインの泣き顔を受け止める眼差しと同じくらい、優しい声が囁く。
 楽しいことをしよう。
 綺麗なものを見て、旨いものを食べて、バカな話をして腹を抱えて笑い転げよう。ついでにクソな兄貴を探し出して、700年分の一発をお見舞いしてやればいい。
 そうすれば、失くしてしまった700年なんて、あっという間に取り戻せる。
「な? エレイン」
 ニィっと笑って、涙を拭ってくれる優しい彼に、エレインは飛びついた。いきなりの突撃に、しかしバンは尻もちをついただけで、エレインの体を抱きとめた腕はゆるまなかった。
「お前がやることじゃねぇよ」

 似合わない。
 やめてしまえ。
 お前の役目じゃない。

 誰かに言って欲しくて、たまらなかった言葉が与えられる。エレインは目の前の太い首に腕を伸ばしてかじりついた。
「怖かった、ずっと、怖かったの……!」
 どんなに理不尽に思っても、押し殺してきた。兄を信じて、兄が守りたかったものを守ろうと必死だった。だって兄は約束した。必ず帰ると、その言葉だけをひたすら信じて待ち続けた。それでもいつも、エレインは恐怖に心と体をすくませていた。
 生命の泉も、妖精王の森も、悪意ある人間との命のやり取りも、どれひとつとってみても、エレインが背負うには大きすぎる。
「怖いのに、ひとりぼっちで……兄さんもいなくて、私っ、……!」
 目を覆って耳を塞ぎ、考えることをやめて心を凍らせる。そうでもしなければ、耐えがたいほどの700年の孤独だった。
「もう、こんなことしたくないの……!」
 700年に渡って打ち明けられなかった本心が、エレインの口をついて出る。バンはぎゅっと抱きしめてくれた。そうだろうなと頷いてくれた。それこそがエレインの、700年を埋めてしまえる魔法だった。




あとがき(反転)
バンのデールに見せたシビアな死生観と『セブンデイズ』のエピソードをくっつけてみました。
このバンが「オマエに夢中」のバンと同一人物なら相当の策士ですが、果たして?

2015年9月14日掲載
気に入ったら押してください→web拍手 by FC2

textへ戻る
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。