この森に王はいない ― ??

※妖精王の森について独自の解釈(ノベライズ『セブンデイズ』とは矛盾)を基に創作しています。




 この森にはいない



 妖精族の聖女と人間の賊の青年との7日間を語るには、まずは700年の時を遡らなければいけない。
 700年前のある日のこと、妖精王の森を守護する王が森を出て行った。理由(わけ)あっての出奔だったが、王の不在は誰かが埋めなければならず、王の妹がその役目を引き継いだ。
 彼女が森の守護者、聖女となるのと入れ替わるように、森に棲んでいた妖精たち、とりわけ羽のある者たちは妖精界へと匿われた。羽を目当てにした人間に、かどわかされた仲間を追って王がいなくなったのだから当然だ。けれど、ひとり妖精王の森に降り立った聖女にとって、その判断はこれまで付き合いのあったほとんどの同族たちとの別れを意味していた。
 ひっそりとした孤独の中で、聖女は役目を果たし続けた。百年が経ち、二百年が経ち、妖精王の森は王がいたころと変わらず平穏を保ち続けた。妖精界にいる妖精たちの間で、慣れ親しんだ森に戻ろうとする動きさえ生まれていた。
「そこで私たちは、微笑みを失ったエレイン様を見つけました」
 妖精族は多くは幼い姿のまま生涯を終える。その外見に引きずられるように精神的に未熟な者たちの中で、聖女は大人びた性格をした珍しい妖精だった。人間の文化にはしゃぐ兄の親友に呆れ、彼を止めきれない押しの弱い兄に説教をする。妖精たちの賑やかな戯れを、一歩後ろから眺めているのが彼女の常だった。
 それでも、機嫌のよい時には彼女もにこやかに笑うことがあった。兄である王の傍らにいるときこそ、彼女は一番よく笑っていた。
 その彼女から、笑顔が消えた。微笑みの形など忘れたような無表情が、聖女の幼くも美しい顔を覆っていた。
「私たちは、エレイン様に強いた務めの残酷さを知ったのです」
 妖精の羽ばかりが、人間たちの標的ではなかった。妖精王の森の奥深くに守られた生命(いのち)の泉もまた、不死を約束する秘宝として人間たちの強欲をかき立てた。欲と悪意と敵意をむき出しにした人間との命のやりとりが、聖女の務めだった。
「怠惰にも、私たちは彼女に背を向けました」
 妖精界から妖精王の森へ、再移住を目論んだ妖精たちの多くが聖女の姿にきびすを返した。だが若干でも、森に留まりたがる者たちもいた。
 変わり果てた聖女を目の当たりにした彼らは、息を殺すようにして森で暮らし始めた。はしゃぎ、遊びまわるなどもっての外だ。聖女から微笑みを奪っておいて、かつてと変わらない生活を取り戻せるとは考えなかった。
 しかし罪の意識以上に妖精たちが恐れたのは、聖女に役目を代わってくれと言い出されることだった。聖女は妖精王の代役、そんな大役を担う勇気は誰も持ち合わせていない。ここでも、妖精たちは怠惰だった。
 そうしてまた百年が過ぎ、二百年が過ぎる。その間も誰一人として、聖女の前に姿を見せる妖精はいなかった。同族でありながら、同族を守護する役目を負う聖女を彼らは恐れた。彼女の孤独を憐れみながらも、巻き込まれることから必死に逃げていた。
「エレイン様はいつも、泉の前で膝を抱えていらっしゃいました。もう森の見回りにも何百年と行ってらっしゃらないご様子で……。エレイン様が顔を上げ、立ち上がるのは、悪意を持った人間が森に侵入しようとする時だけでした」
 そうして聖女の孤独は降り積もっていく。滾々と湧き上がる生命の泉のごとく静かに。生命の泉と異なるのは、孤独は彼女の心を殺しこそすれ、生かすことはなかったということだ。
 話し相手などいない。話す必要があるとすれば、それは強欲にとりつかれた人間に伝わらない言葉を重ねる時しかない。孤独、孤独、孤独。百年、二百年。不老不死と誤解されるほど長い時を生きる妖精族ですら、数えるのが疎ましい歳月が、ただ流れていく。その間も老いることのない聖女の姿は、まるで時を止めた箱庭に捕らえられた蝶のようだった。
「そして運命のあの日が訪れました。バン様が、この森に足を踏み入れた。もう、20年前のことになります」
 聖女に何度吹き飛ばされようとも、生き残った彼。
 (バンデット)と名乗り泉を狙いながら、決して聖女を傷つけなかった彼。
 心を読むことに長けた聖女の前で、嘘偽りを述べなかった彼。
 そのかつてない存在に、固唾を呑んで成り行きを見守っていた妖精たちは、言いようのない不気味さに襲われていた。
『ヒマ人なお前のために見せてやろーと思って』
 だがその不気味さを消し飛ばすほどの驚きが、賊の青年の行動によって与えられる。それは隠れて覗き見る妖精たちに留まらず、むしろ誰よりも強く聖女の心を揺さぶった。
『ねぇ、もっと見せてくれる?』
 聖女は笑った、賊と名乗る青年の前で。
 それは700年ぶりに見る、聖女の笑顔だった。眉を困らせながらも、その口元は間違いなく緩やかな曲線を描いていた。
『いいねぇ、そうこなくっちゃなぁ!』
 青年は、妖精族が何百年にわたってなし得なかったことをなした。彼は、聖女の孤独に寄り添おうとした。
「バン様のおかげでエレイン様に笑顔が戻りました。……いいえ、きっと妖精界にいたころより、ずっと明るいものがエレイン様の心に宿ったのです。バン様の傍にいらっしゃるエレイン様は、それはもうくるくると表情を変えてらっしゃいました」
 そうして一日、二日が経ったころ、青年の存在が聖女にとって大きなものであると、森に潜んでいた妖精たち全員が認める出来事が起こった。
 森から忽然と、青年が姿を消した。
 青年を探して、聖女は森を飛び回った。彼の残した古びた本を、聖女はすがるように抱えていた。そしてエールを片手に戻ってきた青年に、聖女は怒り、笑い、安堵の表情を浮かべた。
 この日を境に、青年をこの森に留めようと、数名の妖精たちが動き出した。青年と聖女との間に、間違いが起こることを危惧した者もいた。それが大多数の意見だった。そもそも人間がこの森にいること自体不吉だと、森にかかる暗雲は青年が招いたのだと疑る者もいた。
「でも私は、エレイン様の笑顔を守りたかった」
 聖女が森と同族を守り続けた700年に、彼女のために何もしてやれなかった贖罪か、一部の妖精たちは黒妖犬(ブラックハウンド)やチキン・マタンゴの協力を得て、青年が森で生き延びる手助けを始めた。
 青年が森での生活に不自由しないことについて、聖女は森が彼を助けているのだと受け止めているようだったが、それは間違いではない。妖精たちができたことといえば、日々の食料を探す彼をさりげなく誘導するくらいのことで、この季節には実らない種類のベリーを実らせていたのは間違いなく森の意思だった。
 聖女のために青年を森に留める。自分たちの願いが森に通じたような気がして、妖精たちは意気揚々となった。
 できることはささやかではあったが、妖精たちは努力した。罪滅ぼしにはあまりにも足りない自覚はあったけれど、自分たちがこの森に残っている意味が欲しかった。
 青年と聖女のために妖精たちは時間を忘れ、疲れも覚えなかった。青年がこの森を居心地のいいものだと思ってくれるように、彼が少しでも長くこの地に留まり聖女の慰めになってくれるようにと、妖精たちは何百年ぶりに汗をかき胸を躍らせ、二人の戯れを見守り続けた。青年と聖女の7日間は、妖精たちにとっても夢のような日々だったのだ。
「バン様も、私たちの存在に気づかれていた」
 7日目にして、青年はついに森に向かって口を開いた。たわわに実ったコケモモをちぎりとりながら、彼はそこここに隠れていた妖精たちに尋ねたのだ。
『俺があいつを連れ出したらダメか』
 折りしも、一緒に旅をしてるよう、と聖女が小さな胸の内を彼に吐露したすぐ後のことだった。
 木々の陰で息を潜めている、ひとりひとりに向けて青年の声が投げかけられる。隠れ住む妖精たちに彼が気づけた理由があるとするなら、それは彼が本来この森にいるべきでない異種族(よそもの)だったからだ。
『人間の俺があいつを連れ出したところで、せいぜい数十年の話じゃねぇか。そんくらいはてめぇらで何とかしろよ。700年ぶりのバカンスくらい大目に見ろってんだ』
 自分たちで何とかしろ。青年の主張は、怠惰だった妖精たちの耳に痛かった。彼の問いかけに応えるべきか、姿を見せるべきか、思案にくれている間にも彼はしゃべりつづける。
『だいたいこの森を守んのは、あいつの兄貴の仕事で……』
 そこで彼は、言葉とコケモモを集める手を止めた。「あ、そっか」と何かに気づいた彼は、妖精たちを尻目に聖女のもとへと踵を返した。その直後、彼は聖女を奪うこと、そのために消えた妖精王を探し出すことを聖女に約束する。
「けれど約束は果たされません。赤き魔神がお二人を引き裂いてしまったから」
 煉獄の炎が森を燃やす光景に、妖精たちは逃げ惑った。多くは炎に飲まれ、運のいいわずかな者が妖精界に逃れた。誰もがわが身を守ることに必死で、聖女のことを考える余裕のある者はひとりもいなかった。
 この時も、彼だけだった。聖女と泉、そして森を守ろうと赤き魔神に立ち向かったのは。
 この森になんの縁もゆかりも無い人間の青年に比べて、やはり妖精族は怠惰だった。
 聖女は青年に生命の泉を与え、息絶えた。不死となった青年は、赤き魔神を滅ぼし、森の最後の種を受け取った。
「私たちの誰もが、間違っていました。バン様はこの森に不幸をもたらしに来たのではありません。森は、バン様の純粋さゆえに彼を受け入れたわけでもありません。エレイン様ですら、そこまでのことはわかっていらっしゃらなかった」
 妖精王の森が賊の青年を受け入れ、助けた理由。それはこの時のためだった。
 妖精王の森は、妖精界の神樹の力を人間界で具現化させたもの、人間界で生きる妖精族のふるさとだった。だがそもそもなぜ、人間の世界に妖精の暮らす森が必要だったのか。
 人間の害を恐れるならば、妖精王の森など初めからなければ良い。けれど神樹は人間界に森を作り、生命の泉によって森を維持し、妖精王にその守護を命じた。妖精王の森は、妖精界の繁栄の礎である神樹が、二つの世界の共存を望んでいる何よりの証であった。翻せば、森が消えたとき、人間界との繋がりを絶たれたとき、妖精界は繁栄の道を断たれ滅びへと向かう。
 賊と聖女が初めてではなかったはずだ、人間と妖精が深く結びついた例は。時に聖女の兄の親友のような悲劇を生みながら、それでも人間と妖精は同じ世界を共有し続けてきた。そこに神樹の意思があった。
 しかし、妖精王の森は燃え尽きた。泉は枯れ、妖精王は戻らない。この瞬間からひとつの閉じた世界となった妖精界は、死へ向かい始めた。阻めるのは、聖女から青年に託された種だけだった。
「バン様が、最後の希望でした」
 妖精王の森にとって。そして、すべての妖精族にとって。運命は、青年の手に渡った一粒の種の行方にかかっていた。
 ひとり生き延びた青年は、聖女の亡骸を土に埋めようとしたが果たせなかった。彼女のために穴まで掘っても、青年は彼女を冷たく暗い土の中に収めることがどうしてもできなかった。彼は仕方なく、燃え残った大樹の穴に彼女を安置した。
 そして青年は聖女の願いどおり、最後の種を植え育てる。彼がアルモカの種に血を与えた瞬間、妖精界は死を免れた。
「森は初めから、わかっていたのでしょう。エレイン様とバン様が惹かれあわずにはいられないことを。そしてエレイン様の最後の望みを、バン様が必ず果たしてくださるだろうとも」
 だから森は二人の恋を育み、利用したのだ。
「バン様が人間たちに捕らえられたのはその後のことです。エレイン様は、森の異変に気づいた人間たちが押し寄せて来る前に、私たちが新しい妖精王の森へとお運びしました。バン様もそうしたかったろうと思ったから。そしてバン様が再び森に戻られた時には、10年の歳月が流れていました」
 このとき皮肉にも、700年行方不明だった妖精王は燃え尽きた故郷にたどり着いていた。遅すぎた妖精王の目から涙が滂沱として流れ落ちるさなか、新しい森では友とはぐれ行き場を失くした青年が聖女の亡骸にすがって嗚咽をこらえていた。
 青年はもう一度、自分の血を介して森に命を与える。それが聖女の望みであったから。彼はまもなく立ち去り、数年おきに現れた。そのたびに、森は大きく深く生い茂っていった。




 「これで、妖精族(わたしたち)の恥に満ちた物語は終わりです。ハーレクイン様」
 もはや彼を、妖精王とは呼べなかった。エンデは、これまで聞き役に徹してきた相手の反応を待つ。かつて王と呼ばれ慕われていた彼は、赤茶けた髪の、はねた寝癖を揺らしている。
「どうしてオイラに、その話を……、オイラはもう、王様でも、なんでもない、のに……」
 彼の声は震えていた。今となっては、この森の妖精たちに石と罵声を投げかけられる始末の彼に、エンデは小さな、けれどつぶらな瞳を向けている。
「あなたが私たちの王様かどうか、私にはわかりません。けれどあなたはエレイン様の兄です」
 彼の背中には羽がない。聖女の背中にもまた、羽はなかった。その異質さが、彼らの血のつながりの証明だった。
「それに知ってほしかった、この森が今ここにあるわけを」
 新しく生まれ変わった妖精王の森は、賊と聖女の愛の結実だ。幼い恋は燃え上がる間もなく、重く苦しい愛へと形を変えた。背負う愛の重さに、不死となった青年の心は軋みながらも耐えている。
 ある妖精は言う。妖精王の森をよみがえらせた青年こそが妖精王だと。またある妖精は言う。人間は妖精王になることあたわず。王は神樹に選ばれし者だけと。だがこの森の誕生に立ち会った、エンデの想いは違った。
 王の不在によってもたらされる災厄を、森は賊と聖女の恋で埋め合わせようとした。それは善悪をも超えた大いなる意思が、神樹が王なき森の存在を認めていることにはならないか。
 つまり初めから、この森に王などいないのだ。王の存在を望むのは、森でも神樹でもなく、怠惰な妖精族の弱さなのだ。
「それでもあなたは、この森の王であることを望まれますか」
 かつての妖精王の森が滅びた一因に、王の不在があった。けれど、その王とは何の関係もない理由から、この森は今ここにある。妖精王の森とはすでに名ばかりの、この森は王と別たれた。
 森を育んだかつての青年は、王と名乗ることを頑なに拒んでいる。彼はおそらく、妖精族が嫌いだ。それも仕方のないこととエンデは思う。
 今なお、妖精族は怠惰だ。義務を聖女に押し付け、生命の泉と聖女の喪失を青年に背負わせ、厚顔無恥にも生き延びた彼らは森からの恩恵をただ享受している。エンデは、かつての妖精王の肩越しに広がる、新しい妖精王の森を見渡した。
 この地は神樹の意思で、王の加護を喪った妖精たちの希望の地で、そして聖女の恋、青年から聖女への想いの結晶。だからこの森はこんなにも大きくてあたたかい。
 一方で、森は妖精族の恥と怠惰を抱き続けている。そのことに、気づかないのは無邪気に飛び回る当人たちばかりだ。
「この森を、あなたは守りたいと思いますか」
 思うはずがない。王と認められずとも、何者でなくとも、自分たちの怠惰に向かい合おうともしない妖精たちから石をなげつけられようと、そうまでして守る理由は彼にはない。かつて彼が慈しみ守った森とは、この森はまるで違う。だから。
 この森に王はいない。
 エンデはかつて王と呼ばれた、彼を前にそう思う。




あとがき(反転)
ここからの対アルビオン。変わった組み合わせ第三弾・エンデ。バンは相当美化されてます。
「妖精王の森がなければ妖精界に人間が侵入できる」(ノベライズ)という設定は、漫画原作には登場していない……ですよね?

2015年11月16日掲載
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