Never set me free ― バン×エレイン

※エレインが無事に復活してバンと幸せになるエンディング後妄想(原作内でエレインが復活した時制とは別物です)





 ひらり、ひらり、と白いひだが宙を舞う。浮かんでは沈み、回っては止まり。くるくる、くるくる、とエレインのドレスが水の上をすべっている
 エレインは踊っていた、妖精王の森の奥深くで。彼女の舞台は、滾々と湧きたたえられた生命(いのち)の泉の上だった。浮遊した彼女が回ってみせるたび、つま先と口づけを交わした水面(みなも)に波紋が生まれる。
 エレインが回る。くるり。ドレスが舞う。ひらり。肩までの金髪が遠心力で広がり、足元ではいくつもの波紋が生まれては消えていく。小さな波は幾重にも重なって、泉の水に刹那の模様を描いた。
 金色の毛先、真っ白なドレス、透明な水。いくつものきらめきが散っては集まり、また分散していく。まるで雲の中にいるような、まばゆい光景に岸辺のバンは目を眇めた。



 Never set me free



 それはエレインとバンが過ごす、初めての冬だった。その年初めての雪は宵に降り始め、朝日が現れるころには止んだ。だが夜半に積もった雪はとけずに残り、日差しを吸い込み、銀の光を世界に向けて乱反射させている。バンにとっては見慣れた、だがエレインにとっては生まれて初めての銀世界がそこにあった。
 バンはエレインを見ていた。まだ誰のものでもない、まっさらな雪原の真ん中にエレインが降り立つ様を。この日のためにおろした茶色いブーツ。それを履いた足が雪に沈み込む瞬間、彼女の金色の瞳が熱を含んで微笑むさまをバンは離れたところから見つめていた。
 この楽しみのために、エレインは久しぶりにバンの隣で宙に浮いた。二人で旅を始めてからというもの、エレインはなるべく自分の足で歩くよう心がけている。半分は妖精だと騒がれる面倒を省くため、もう半分はバンと同じ世界に触れるためだった。
 地面を踏みしめる足裏の感覚、歩きすぎてふくらはぎに溜まってくる疲れ、きょろきょろと上ばかりを見ていて、路傍の石や木の根につまづきそうになる危うさ。妖精界や妖精王の森にいては知ることもなかっただろう何もかもを、エレインは懸命に学んでいる。
 バンとしては彼女のきれいな足に負担をかけたくないし、華奢な彼女を担ぐことは造作もない。だがバンと同じものを知りたい、感じたいという、エレインの気持ちを尊重している。同じ高さで景色を見るために、彼女を抱えあげる口実にもなった。
 雪遊びも、エレインが知りたいことのひとつだ。両足が雪に沈む、硬さと柔らかさの中間にいるような感触。自分の足の形を忠実に残す、雪の律儀さに胸を震わせる。エレインを襲っているであろう感動や興奮の嵐が離れた場所からでも見て取れて、バンはニヤニヤと口角を上げた。
「初雪はどうだー!」
「おもしろーい!」
 伸ばした声に、それ以上に伸びやかな彼女の声が返る。案の定はしゃぎきった様子に、バンは肩を揺らしてカカカッと笑った。
 エレインが雪を蹴った。パウダースノーが宙を舞い、彼女の白いローブに降り注いで一体となる。雪の冷たさから彼女を守るローブは、彼女の実兄の手作りで、今朝方二人の旅先に届けられた。正直、兄からの牽制のようでバンは気に入らない。思いがけない兄からのプレゼントにエレインは大喜びで、しかもバンの目からも似合っているからなおのこと面白くない。
 その白いローブが、円を描くように広がった。エレインが、雪の上でくるりと回ってみせたせいだ。
 薄水色にも光る、雪原の上で踊る少女。眼前に広がる絵画めいた美しさに、バンは息を飲む。息と共に飲みこんだのは、かすかな不安だった。呼び起こされた記憶の向こうで、水の上で踊る彼女の昔の姿が華やぐ。今と変わらない程よい速さ(モデラート)で紡がれる彼女のダンスは、バンの心を彼女から遠ざけた。

 美しさは、時に現実を侵食する。

 妖精王の森で彼女の踊りを見たとき、バンは自分がおとぎ話の世界に迷い込んだような錯覚にとらわれた。そして強烈に、自分という存在の異質さを感じ取った。妖精族の姫、生命の泉の聖女。そんな形容が清純なついたてとなって、エレインを見つめるバンの前にたちふさがる。
 バン(おまえ)はここにいるべきではない。彼女をとりまく、目も眩むような輝きがバンを追い立てる。光の洪水の中に、今にも彼女がさわられてしまいそうな気がした。
 そんなかつての不安はゾンビのようにバンの胸に蘇り、現実と過去の境目を曖昧にする。過去を思い出すほどに喉が締まり、バンの手足の指先は寒さとは違う理由で凍えていく。また彼女を失うのかと、想像の断片がよぎっただけで叫びだしそうになる。
 森でのバンは、気持ちが赴くまま行動に出た。こんなこともできるのよ、と楽しげなダンスを披露していたエレインが、バンの気配が消えたことに動きを止めた。きょろきょろと、彼女が泉の岸辺を見回したところで誰もいない。不安にかられる体を支えるように、エレインは生命の泉の杯に寄り添った。杯からの水が伝い落ちる台に指先をひっかけながら、エレインはいなくなったバンを探している。探し人が自分の足の下にいるとは、まさか彼女も思わなかったようだ。バンは息を殺して、エレインの焦燥を澄んだ水を通して見つめていた。
 雪の中のバンも、過去の自分に倣う。あいにく雪にはもぐれないので、雪の上をバンはエレインに向かって駆け出す。恋心は重力をはねのけ、愛しい人へと突進する。バンを追うように、大量の雪が巻き上げられた。白く粉々に散る雪は渦を巻いて、あの日の泉に差し込んだ日差しを髣髴とさせる。降り注ぐ光のシャワーに、またエレインが見えなくなった。今と昔を繋ぐ不安が、バンの中で膨らんでいく。
 早く。早く。千分の一秒でも早く、彼女の元へ。
 生命の泉で、彼女の小さな唇が心細げにバンの名を紡いだ。その刹那、バンは水を突き破って真下からエレインを捕らえた。そのまま二人そろって泉の中へ沈む。再び水面に顔を出したエレインは、ドレスはもとより頭のてっぺんまでずぶ濡れになっていた。むせるのも忘れて、彼女はバンを睨んだ。小さな拳がバンの胸に打ちつけられた。バンがいなくなったかと思ったとぶつけられる批難の声に、なぜだろうバンはひどく上機嫌になった。
 あれから20年が経った。白々と明るい世界でバンに抱きしめられたエレインは、驚きも怒りもしない。ただ何もかもを承知したような金色の瞳でバンを見つめていた。予想外の反応に、バンはありゃ、と首をかしげる。
「読まれてたか?」
「二度目だもの」
 エレインもまた、バンと同じ過去を重ね合わせていた。
 エレインはバンの頭や肩についた雪を優しく払う。最後に、バンの頬に触れた。あたたかな手は、馬鹿ね、何にも怖がることなんかないじゃないといってるようで、事実、彼女はそう言いたいのだろう。
「相変わらず、お前は俺の心が読めんのな」
 他の追従を赦さない精度は、エレインに生来備わった能力ゆえなのか、相手がバンだからなのかは判じがたいし重要ではない。大切なのは、バンの中に残る根深い不安の雪を、とかせるのはエレインのぬくもりだけだということだ。
 バンが追い求めて止まない、彼女はバンを見つめて笑う。たおやか微笑みは、また別の、在りし日のやりとりを思い起こさせる。雪が放つ光を取り込んでなお深く輝く、彼女の瞳に映るバンの笑みもまたエレインに同じ作用をおよぼしていた。
「昔のバンは、なーんにもわかってくれなかったわ」
 雪にはしゃいでいたときとは違う、慈悲を溶かし込んだ瞳でエレインはくすりと笑った。いたずら好きな、人間が描く妖精のイメージに近い彼女の口ぶりにバンは顔をしかめる。
「あー……」

『私が今、考えてること……当てられる?』

 頬を真っ赤にして、目を潤ませたエレインのリドルを因縁と決め付けたかつての失態。思い返せばあの時点で三行半を突きつけられても文句は言えなかった。
「くそ、やぶ蛇だぜ」
「覚悟しなさい。当分はからかってあげる」
 くすくすと笑うエレインを前にすれば、意地の悪いたくらみすら甘いシロップのようだ。喉がひりひりと痛むほどの甘さ、苦しくも手放しがたい多幸感がエレインを中心にバンをとりまいた。
「今ならもう、わかるでしょ?」
 何にも代えがたい、幸福の源が尋ねる。
「どうだろうな」
 肩をすくめるバンの、頬を小さな手が行き来する。
「バンは頭で考えちゃだめ。そんなに賢くないんだから」
「はっきり言いやがる」
「でも(ここ)はしっかりしてるひとよ」
 胸に当てられた手から、あたたかい海のように安らかなものが流れ込んでくる。もしバンに心をくれた誰かがいるのだとしたら、それはお前だとバンは伝えたかった。エレインがいる、生きて、ここにいる。それだけで、ありきたりな雪景色すら愛せそうなほど、心が震えるのだから間違いない。

 俺の心は、お前がくれた。
 それは否定しようのない事実だ。

「答えあわせをしてあげる」
 私が今考えてること、当ててみて。
 とろけるような優しげな声が、鼓膜をじんと痺れさせる。バンの成長に喜びを隠さない瞳の美しさも、鼻の頭まで赤くしたかんばせの愛らしさも、白い息を漏らす唇がかたどる控えめな微笑みも、エレインはバンの心をどんどんと大きく、深く、複雑に変えていく。
 その心を使って、バンはエレインの望みを探る。瞳の中の、ろうそくの炎の揺らめきにも似た、ありふれた衝動を見つけ出す。ノンバーバルなサインは、バンにキスをねだっていた。
 雪にまみれたキスは、あたたかい。真綿のようにやわらかい。
 髪の甘い匂い、抱き寄せた輪郭。一度はこの腕からこぼれ落ちた何もかもが、ここにある。二つの体はジグソーパズルのごとくぴたりと合わさり、彼女の兄がまとわせたローブの隔たりもなんのその。肉感を伴った尊い体温がバンにその存在を知らしめる。
 それは「彼女」だ。
 「彼女」の実感を後押しするように、バンの首にも華奢な腕が回る。髪の中に差し込まれる小さな指が、もう二度とバンを離さないと、これもまた言葉に頼らないサインを強く強く発信していた。
 生命の泉の上で、エレインが披露してくれた美しい舞。20年前のあのとき、エレインの抗議に喜んだ理由を今のバンは理解できた。確かにエレインは怒っていた。ダンスを中断させられたことでも、濡れ鼠にされたことでもなく、バンが忽然と、エレインに何も告げず姿を消したことに怒っていた。バンの不在を不安と共に受け止めた彼女は、バンと同じ気持ちを抱えていた。だから嬉しかった。
「正解か?」
 唇を離して、合否を問う。小さく首をかしげて、エレインは金色の髪をさらりと揺らした。
「それも当てて」
 一緒にいたい。そう願う二人の気持ちはあの頃から重なっていた。だからどうにかして一日でも、一刻一秒でも長く二人でいられるように、何か良い手はないかとバンはあまり賢くない頭で考えをめぐらせた。彼女の兄を見つけ出す。その答えにたどり着くのが遅かったこと、そうこうしているうちに彼女がいなくなってしまったことはバンの手落ちだ。
 20年にわたる彼女の不在は、バンの中にまっすぐな未練を残した。おかげで、バンはまだ彼女のいる世界を手放しで信じることは出来ない。ささいなきっかけで、過去を重ねて動揺してしまう。けれど、歩き始めた未来は彼女と共にある。
 バンはもう一度エレインにキスをした。彼女の望みからではなく、自分がそうしたいから。バンがしたいようにしてと、彼女の瞳が語っているから。

 だからキスを。
 もっと抱擁を。
 離れていいのは、腕の距離まで。

 冬はまだ始まったばかり。だが唇から伝わる熱が春風となって、バンの孤独の雪解けをうながしている。
 腕の中には、世界を埋めつくす雪を融かすほどのぬくもりがある。そのことをよりはっきりと感じられる季節の真っ只中、自分を包む恋しいひとに、もう二度と離さないでくれとバンは願った。




あとがき(反転)
N○Kのフィギュアスケートを見ていて(笑)銀盤の妖精ならぬ、水上と雪原の妖精です。
"I'll cover you."はエレインからバンへのセリフ。"Never set me free."はバンからエレインへのセリフ。それが我が家のバンエレです。Merry Christmas!!!
"Never set me free"「Without Love」『ヘア・スプレー』より

2015年12月21日掲載
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