生まれて初めて可愛いと思った女の子は、妖精の聖女だった。
妖精族は見る目がない
エレインは可愛い。蜜色の髪はサラサラとして柔らかいし、トパーズを思わせる瞳は大きくていつもどことなく潤んでいる。小さな顔に並んだ鼻と口は小さくて、化粧もしていないのに頬はほんのりと赤らんでいた。 「お前、可愛いって言われねぇ?」 バンの何気ない一言に、エレインは目を見開いて肩をすくめる。そんな仕草もなんだか可愛い。 「な、何の話よ」 エレインはバンに脅かされたり、意外なことを言われたりするとふわりと宙に浮かび上がる。バンと同じか、少し視線の高い位置に立って落ち着きたいのだ。その度に、彼女のひだの多い服がふわふわと揺れ、背中のリボンが羽のように見える。 白い蝶か綿毛のようなふわふわ感に、バンはニカッと笑う。 「可愛いな」 「からかわないで!」 バンはいたって本気なのに、怒るエレインがわからない。女は普通、可愛いだとかきれいだとか言われたら喜ぶものじゃないのか。バンが怪訝そうに首を傾げているうちに、怒っていたはずの彼女の様子が変わり始めた。もじもじと、白い服のひだをいじりながら、元から色づいた頬をさらに赤く染めている。 「そ、そんなこと、同族からは誰にも……」 なんだ、本気で怒っているわけではないのか。そう気づいたバンは、目の前をふわふわと漂う「可愛いもの」に相好を崩した。 「見る目ねぇのな」 こんなに可愛いのに、妖精族にはこの良さがわからないらしい。バンは宙に浮くエレインをかっさらって、その場でくるくると回る。きゃあきゃあと悲鳴を上げるエレインに、バンは牙を覗かせて笑った。 やっぱり可愛い、高い声まで可愛い。 「もうっ、すぐふざけて!」 どうにかバンの腕から逃れたエレインはご立腹だ。悪い悪いとバンが謝ってみせても、彼女はツンと鼻を上げてそっぽを向いてしまう。 「嫌ならもう言わねぇって」 上を向く小さな鼻の頭まで可愛い彼女に、嫌われるのがいやでバンは下手に出る。拗ねるなよ、ラベルの話でもしようぜ、と正面で顔を合わせようとするたびに、ひらりと身をかわす彼女をしつこく追いかけた。 「なぁ、エレイン。なぁって」 どうにか彼女の機嫌を取ろうと声を重ねれば、ふと、エレインはバンから逃げることを止めた。おずおずと、バンに向けられた顔が妙に赤い。困ったような眉の形に、やはりバンは可愛いと思ったけれど、今度は口に出す前に飲みこんだ。 可愛い可愛いハの字の眉の下で、きれいな金色の瞳がバンを見上げる。小さな唇からは、蚊の鳴くように密やかで、上擦った声が漏れた。 「バンの、方こそ……その、素敵よ」 一瞬、泣いているのかとバンを焦らせた表情は、恥ずかしがっている顔の間違いだ。自分を見つめる彼女の瞳から伝わる、精一杯の気持ちが見えない手となってバンの胸を押す。次の瞬間、彼女の照れが伝染したかのように、バンの頬がカッと熱くなった。 これは、確かに、からかうなと言いたくなる。そんな、一撃必殺の破壊力。 「……やっぱ、見る目ねーよ」 こんな賊のろくでなしを捕まえて、素敵だなんてのたまう彼女は、視力か何かがおかしいに決まっていた。
「お前、本気でそれがイケてると思ってんのかよ」 キング、と呼びかけた相手が振り返る。きょとんとした顔は、目の前の太った老け顔より、彼の正体であるらしい幼い少年のほうがよく似合うはずだ。 「え、イケてるでしょ?」 同僚時代、バンはキングのことをクソデブ、クソデブと呼び続け、ろくに「キング」の通り名も口にしなかった。その元同僚がエレインの兄で、本当は彼女と変わらない少年の姿をした妖精王だと知ったのは最近のことだ。そしてほぼ同じタイミングで、どこからどう見てもただ暑苦しいばかりのおっさんのナリに、当人の美意識が強く反映されていることもバンは気づかされる。 本人曰く、妖精王としての正装、だそうだ。 「王たるもの、常に威厳を漂わせてないとさ」 「漂ってんのは、加齢臭じゃねーの」 自分の美的感覚に微塵の疑いも持たないキングにバンは呆れた。すると目の前で、ポンッと音が鳴って肥満体の中年男が消える。同じ場所に、エレインと同じ年頃の少年が姿を現した。こちらのほうが、エレインと同族と言われて余程納得がいく。 キングとエレインを並べて、バンは似ていると感じたことはない。ただバンの判断は彼らの性格の違いに引きずられている可能性もあって、何も知らない者の目から見れば面影があるのかもしれなかった。 「なに?」 ついつい記憶の中の彼女と比べてしまうバンに、キングが眉をひそめる。何をどうしたらこの顔立ちがあんなに老けるのか、妖精族の魔力は無駄にすごい。 キングの正装姿があれだというのなら、エレインも似た姿になるのだろうかと、想像をしてバンはちょっと顔を顰める。いや、例えどんな姿に変わろうと、彼女を想う気持ちに一片の揺るぎもありえないのだけれど。 「どうにも人間には評判悪いみたいなんだよね。あいつらの真似なのにさ」 バンのしかめ面を、正装への非難と受け取ったキングは言い訳のようにそう呟く。そして神器にもたれてふよふよと浮き上がった。 「エレインは素敵だって言ってくれたよ」 エレインの名は、今ではバンとキングを繋ぐ合言葉のようなものだ。だからこそ、やすやすとはお互いに口に出さない。一方で彼女の存在は、不死者と妖精王の数少ない共通の話題でもあった。とりわけ今回は、バンの心を見透かしたかのような、キングのタイミングがばっちりと噛み合う。 「ったく、兄妹揃ってよ~」 「どういう意味だよ」 「妖精族ってのは、どいつもこいつもセンスがねーわ」 エレインを可愛いと思わない同族たちも。太った中年男に王の威厳があると考えるキングも。そんな姿のキングを、バンと同じく素敵だというエレインも。 本当に、本当に見る目がない。
『素敵よ』
けれどそんな彼女の言葉に、今なお救われている自分が一番の盲目なのかもしれないとは、バンは死んでも口に出せなかった。
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