行きずりのフォーチュンテラー
その男と、ジョッキを交わすことになったのはほんの行きずりだった。 「ありがとう、助けてくれて」 女は笑って、エールのジョッキを掲げて感謝を示す。使い込まれた大振りなジョッキは、華奢な彼女の手にはアンバランスだ。同じく細い腕の肘あたりで、何重にもはめたブレスレットがしゃらしゃらと音を立てた。 「べっつに。うるせー野郎どもにうんざりしてたしな」 おごられたジョッキに口を付けて、嘯く男は若い。女を振り返らない姿は、若者らしいポーズに思えた。一人前に格好をつける相手に、女は口紅をひいた唇で笑う。 「よく絡まれるの、女の一人旅じゃね」 「カタギにゃ見えねぇ、当然だろ」 「占い師よ。それも腕利きなの」 だからこの酒場を選んだ、といえば若い男はざんばら頭をゆらして笑う。背中まで伸びた、色をどこかに置き忘れた銀色の髪は、うかつに触れれば指に刺さりそうなほど尖っている。 「酔っ払いに絡まれる店選ぶたぁ、どういう腕だよ」 男は率直にものを言う。歯に衣着せない物言いは、女占い師の好意を呼んだ。元より男は好みの顔だ。酔っ払いの腕をひねりあげたときに見せた、あのあくどい笑みにはひどくそそられた。 「占いは当たったわ」 「へ?」 タダ酒のおかげか、鬱陶しかった客を追い払ったすがすがしさのせいか、男はへらへらと緊張感のない笑顔を振りまいている。垂れ下がった眉とつりあがった紅い目のアンバランスさに、不思議な愛嬌が宿っていて女はますます彼を気に入っていく。 「だって、アンタがいたじゃない」 あしらい方をしくじって、男二人に店から連れ出されそうになった時だ。6フィートはあった大男を止めた彼は、さらに高いところから男を見下ろして口角を上げた。 『てめぇらに興味ねーけど、とりあえずうぜーわ』 角の取れた低めの声には、得体の知れない凄みがあった。 「カカカッ、なるほど、そりゃいい腕してんな」 今は拝めないけれど、男の頬から首筋にかけては大きな傷がある。凶悪な笑みにいわくありげな傷があいまって、彼に止められた男たちも酔いが一気に醒めたようだった。そそくさと逃げ出す彼らを尻目に、女はひとり酒を続けようとする恩人をカウンターに誘った。 「アンタもひとりね」 「ん? ああ」 酒場で男が女を助ける。感謝する女に男は酒をおごられ、二人の距離は縮まる。お約束の流れから始まる男女の物語の予感に、女はしなをつくって、今夜の相手役へと秋波を送った。 「おひとり様同士。良い夜になるわ」 腐っても占い師、人を見る目がなければ食っていけない。そしてひとの内面は、大なり小なり、必ず表に現われる。女はすばやく、男の全身に目を走らせた。 男は飛びぬけて背が高かった。きっと軽く手を伸ばしただけでこの店の天井に触れられる。体つきは身長に対して細すぎるきらいはあったが、ただ痩せこけているわけでもない。彼がジョッキを上下させるたびに、腕を覆う筋肉が服の上からでもわかった。 アンバランスな性格。占い師は目の前の青年をそう精神分析した。 さびしがりやだけれど、干渉されるのは嫌い。マイペースなようでいて、誰かの指示を待っている。今はその誰かがいなくて、迷子みたいに途方にくれていた。だから彼は、ひとりエールをあおっている。 そういうタイプにはこちらから誘いをかけてやるのがスムーズでいい。どうにも年下らしい彼のプライドを刺激しない程度に、女が優しく導いてやればいい。 女は男の腕にそっと手を置いた。やはり硬い筋肉の手触りがある。この酒場の上は宿になっていて、男連れならば用心にもなる。互いのメリットを重ね合わせた女の誘いに、男は目じりを下げて受け入れる。そういう算段だった。 「野良猫は拾わねー主義だ」 だから腕を軽く振って逃げられたとき、女は意外な反応に目を丸くした。彼の人物評を誤ったとは思えない。だがはっきりとした拒絶は、彼女にある仮説を立てさせた。 「アッチ系なの?」 「どいつもこいつも、なんでそーなんだよ」 よほど癇に障ったのか、大げさな仕草で男は否定を示す。 「精一杯ご奉仕するわよ」 「ニタリ顔のアバズレなんざ嫌ぇだね」 「古風なのね。顔に似合わないって言われない?」 「うっせぇ」 ムキになる男に女は笑う。図体は一人前以上、度胸もすわっているのに、どうにも言動が子どもじみている。アンバランスな彼の、もう少し深いところに女は触れてみたくなった。 「いるの、好いひと」 「死んだ」 女は占い師だ。他人の人生を見聞きするのが生業だ。だから恋人と死に別れたという男の過去も、彼女を驚かすには値しない。少なくとも、傍で聞く限りはよくある話だ。女は、影のある男が好きなもの。そういう作り話で女の歓心を買うのも、使い古された手口だ。けれど彼に限って言えば、似合わない。 彼は恋人が死んだ顛末を語りだそうとはしなかった。女が尋ねるのを待っているわけでもない。何も言わない、何も聞くなと、彼の尖った横顔が立ち入り禁止の立て札の代わりだった。 「良い女?」 女はあえて質問を口にした。 「ま、そんじょそこらにゃいねーわな」 そう答える彼の横顔には、恋人を自慢する色が滲んでいた。 もし彼の話が本当で、死んだ恋人に操立てし続けているというのなら、彼は今後も女がらみで苦労することになる。女難の相と指摘すると、彼は占いもくそもないなと鼻で笑い飛ばした。 「あら、信じてないのね。アタシの力」 「てめぇよりすげー奴なら知ってるぜ」 「じゃあ見せてあげる。今ここで、アンタの過去を変えるわ」 挑戦的な女の提案に、アルコールですっかり赤ら顔の男は紅い目を丸くした。 「占いってのは、将来のためにあんじゃねーの」 「それじゃ今すぐアンタに納得してもらえないでしょ。だから、過去を変えてあげる」 気安く請け負ってみせる女に、男の目が刹那、剣呑とした光を帯びた。 「やれるもんなら」 そう告げる男の低い声を合図に、女は彼との間に右腕を持ち上げた。しゃらりと、五連のブレスレットが手首から肘へと滑り落ち、その手を彼の顔の真正面で広げる。触れはしない。ぴんと伸ばした五本の指越しに、彼女は彼の瞳を見る。 女には魔力があった。力の名は<希望>。人の心に巣食う絶望から、希望を見出す。 <希望>はそれ自体、攻撃することも身を守ることもできない弱い魔力だ。だが、相手の人生に絶大な影響力をおよぼす。うまく使えば、人ひとりの人生をいいように操ることも可能だった。だが女は、その力を占いに使った。自分が人の心をもてあそぶ器でないことを、彼女はよく心得ていた。 ゆっくりと手を収めると、またブレスレットがしゃらりと鳴った。占い師はおもむろに口を開く。 「彼は、アンタを裏切ってなんかないわ」 男は一瞬、虚をつかれた様子を見せた。死んだ恋人のことを言い当てられると身構えていた彼は、女の言葉の意味を理解するのに戸惑っている。その隙に乗じて、女は畳み掛けるように言葉を紡いだ。 「彼はアンタを見捨てたくてそうしたんじゃない。だけど彼の腕は二本しかなくて、抱えていけるのはひとりだけで……、彼は、選ぶしかなかったのよ」 じわじわと女の言葉が男の頭にしみこんでいくのが、泳ぐ彼の目を見ていればわかる。彼は女の言葉を反芻しながら、自分の記憶とひとつずつ照らし合わせているのだろう。そうして女の指すものの正体に気づいたとき、男はぎゅっと目をつぶって何かに耐えた。 かたく目を閉じた、尖った横顔を女は覗き込む。 「恨んだの?」 彼は首を振った。まぶたを開けた彼は、紅い眼差しを白目まで赤くさせて女を見やる。 「好きだったのね、その人のこと」 「今もな」 恨んだり、憎んだりしたことはない。のっぴきならない事情があったのだと、自分に言い聞かせてきたのだろう。その想いを、誰かに、間違っていないと認めて欲しかったのだ。 そして彼は、ふっと笑った。 「すげーな、あんた」 「言ったでしょ。アタシは腕利きなんだから」 占い師は未来を言い当てる山師ではない。悩める子羊の心に寄り添い、群れとママの居場所を指し示してやる羊飼いだ。今夜もまた一匹、銀髪の紅い目をした子羊が救われた。さまよう荒野の闇を、<希望>の光に照らされて。 「どうすりゃ礼になる? あんたの力信じるってだけじゃ、足んねぇ」 「ならキスしてちょうだい」 思いのほか義理堅い男に、女は自分の頬を指でつつく。頬なら恋人への操も守れるという彼女の譲歩に、しかし男は難しい顔を返した。 「え、何? まさかこれもダメ?」 「あいつにもしてやってねーこと、他の女にするってのはなぁ」 「嘘でしょ」 まさかキスもしてない関係なのか。男は頭をかきむしった。 「あー、いや、キスくれぇは……、ん? ありゃキスのうちに入んのか? まー、あれよ、とにかく、そういうことになる前に死なれちまって」 「嘘でしょ……」 純愛といえば聞こえはいい。だが、バカだ。 女は、男の恋愛事情にまさかの仮説を思いつく。先ほどの「アッチ系」よりは(常識的に考えて)ありえないが(男の言動からいって)ありえそうなその説を、女はおそるおそる口にした。 「アンタ、まさか、童貞?」 たったひとりの女のために、長い人生の快楽をほうり捨てるなんてバカをしでかすのは穢れを知らないタイプが多い。女の指摘に、男の赤い目が眇められた。 「悪ぃかよ……」 今日何度目かの「嘘でしょ!」が女の口からほとばしった。 次の瞬間、女は笑い出した。艶っぽいミステリアスな美女を気取っていたはずが、大口を開けて首をのけぞらせる姿に酒場中の視線が集まる。 目の前の青年が、少し前までモーションをかけていた相手が、純潔を保っている事実に女は耐えられなくなった。見た目は悪くない。コミュニケーションにも特段難があるとは思えない。そんな男が清い身を保っていられるとは、よぽど死んだ恋人に入れあげているらしい。その恋人とはキスすら怪しいとくれば、抱腹絶倒ものだ。 「てめぇ、コラ! 人様の恋路笑ってんじゃねーぞ!」 すごまれてもちっとも怖くない。まさかまさかの連続に、女は笑いを収められそうになかった。目じりに涙を浮かべながら、女は胸の内で呟く。 想ってるのね、今も、ずっと。 男なんてのは、どうしようもない生き物だ。思い出だけでは生きていけない。たったひとりと決めていても、いつかさびしさに負ける日が来る。 目の前の男を女は哀れに思った。彼は、恋人の呪縛から逃れられないまま生涯を終える。一途な男だとは、知ったばかりだ。かつて自分を捨てた男を、今も慕い続ける程度には。そんな彼が恋をしたら、どうなるかなど火を見るよりも明らか。たとえ誰かにヴァージンを捨てる時がきても、彼は鼻をうずめた誰かの髪の匂いに彼女を思い出すだろう。心に残った女の匂いを、男は決して忘れない。 とびっきりの芳香は、彼の恋を閉じこめる。もう過ぎた香りに捕まって、朽ち果てるのを待つばかりの恋心に、占い師は目に映らない哀悼の涙を流す。 頭の中の過去は、どうとでも変えられる。すべては受け止め方次第だ。けれど体が記憶するものに、<希望>は手出しできなかった。 結局、男は用心棒にはなってくれこそすれ、ベッドひとつの部屋に入るなりさっさと床に寝転がった。女が誘惑する隙も与えず寝入ってしまったのは、ふて寝だけでなくアルコールも十分だったからだろう。そうして互いに清いまま夜を明かして、男は女が起きるのも待たずに姿をくらました。 一体どれだけ飲んだのかと、翌朝マスターに尋ねみれば女はまた驚かされるはめになる。彼があけたジョッキは、女が来る前に飲んでいた一杯と女がおごった一杯だけ。弱いにもほどがあった。 「こいつ、姉ちゃんのツレに似てねぇかい? あのゆうべの、タッパのある」 宿の支払いのさなか、マスターの声に女は指差された先を見た。消えた男のあとを追うように、今朝から出回っている新しい手配書だ。手配書は7枚、つまりは7人のお尋ね者は、リオネスの聖騎士長殺害と王国転覆容疑がかけられた<七つの大罪>たちだった。 「そうかしら」 「ほら、そこの、右から二番目。頬に傷のある若い男」 「この辺じゃ傷の無い男のほうが珍しいんじゃない?」 そうかねぇ、とマスターが首をかしげながら奥にひっこんでも、女は手配書が貼られた壁の前から動けずにいた。彼女の目は、マスターが「似ている」と言った頬傷のある男に釘付けになっている。 傷を見せ付けるようにはすに構えた顔の下には、アルファベット三文字でつづられた短い名。その名を女は声には出さず舌の上で転がした。そういえば、女も男も互いに名乗らずじまいだったと思いながら。 "BAN" 禁止、破門、触れてはならぬもの。通り名だろうか。まさか本名ではないだろう。もしこんな名前をわが子に付ける親がいるとしたら、いったいどんな神経してるんだと疑いたくなる。 そんな物騒な名前を持った、王国転覆をねらった大罪人がゆうべの彼だというのか。彼女は笑って首を振る。手配書の中の彼は、すました無表情でこちらを見ていた。 「まさか、ね」 国中から追われる大罪人が、悠長にも行きずりの女を助けるはずがない。ジョッキひとつふたつで酔っ払って、幼く笑って、初心さ加減をからかわれてふて寝するわけがない。ましてや、一途な恋に人生を捧げたヴァージンだなんて、信じられるはずがなかった。
女は今も旅をしている。銀髪で紅い目をした、頬傷の男とは二度と出会わなかった。 あれから十年、久しぶりにリオネスに立ち寄った彼女は、とある酒場で十年前のあの手配書が引き剥がされる場面に出くわした。病床だった国王が政務に復帰するや否や、<七つの大罪>にかけられた嫌疑は晴らされたのだという。 「ねぇ、マスター」 女は店主の肩をたたいて、頬に傷のある若い男の手配書を譲り受けた。 「そんなもんどうしようっての?」 「お守りにね」 今まではブリタニアのどこにいっても見ることができた彼の顔に、もう会えないかと思うと無性に手元において置きたくなった。女は若さと美貌を誇る歳ではなくなったけれど、また絡まれるようなことがあれば彼の手配書はいい虫除けになる。なにせ一晩を共にした仲なのだから。 こちらを見つめるクールな顔に彼女は微笑む。 「まさかまだ、ヴァージンなんじゃないでしょうね」 十年前に出会った彼と、手配書の彼が本当に同一人物なのか。彼女にはどうでもいい話だ。けれど、この一点だけは問いただす機会があればいい。占い師は、そのいつかを期待しながら、小さく折りたたんだ彼の似顔絵を懐にしまった。
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