死者の恋はこの世の摂理を覆すか
「ジェリコはチミんとこの不死者にお熱らしいにィ」 兜越しの視界で、気だるげに宙に浮く親友はそんなことを言いだした。折しも還る場所を失くし、自分が何者であるかもわからなくなっていたキングが、思わぬところからディアンヌの真意を聞かされ、そのあまりの大事件ぶりに頭をいっぱいにしていた、まさにその時に。 「そんでもって不死者は死んだチミの妹君にお熱。妹君はチミに彼を守ってくれるよう、俺っちに伝言を頼んだ。うーん、泣かせる話だねぇ」 親友の恋煩いの深刻さをわかっているだろうに、明後日にズレたヘルブラムの話題選びにキングは眉をひそめる。 「何だい、ヘルブラム。藪から棒に」 「いやね、元上司の俺っちとしては、ジェリコの恋を応援したいと思うわけだよ」 「それは……骨折り損になるだけだって」 ヘルブラムはその口で、バンが今なおエレインを想い続けていると言ったではないか。 バンはジェリコの名前を正しく呼ぼうとしない。おまけに年頃の娘を全裸に剥いて平然としている男だ。それもどうやら彼なりのジェリコに対する嫌がらせだという。しかしジェリコには完全な逆効果で、バンが変に構えば構うほど彼女は熱を上げていった。 「聖騎士としては未熟だったけれど、あのタフさは敬服に値しちゃうね」 生まれ変わった妖精王の森での、バンとジェリコのやりとりを思い出したのかヘルブラムは肩を揺らして笑う。元部下の恋を応援すると言う割には、明らかに楽しんでいる軽薄な態度をキングはちょっとひどいと思った。 「第一さ、エレインにあいつは似合わないよん」 つり上がった目尻を下げて、彼は小さく微笑む。エレインと、妹の名をかたどる声は優しかった。透明なつい立ての奥にあるものを羨む眼差しに、キングの瞳はヘルブラムの隠した本音の片鱗を映して見開かれる。 「キミ、エレインが好きだったのか」 「タハハッ、チミは直球だにィ。ま、昔のこと昔のこと」 肩をすくめて、ヘルブラムは生前の片恋を口にする。彼が人間に興味を持ったのも、元をたどればエレインの気を引きたかったためだと打ち明けられてしまえば、キングは驚かざるをえなかった。 「エレインにとって、特別なのは兄であるチミだけだった。彼女の関心を買おうと思ったら、叱られるようなことをするしかないでしょー。気づいたら、興味の先は人間そのものに変わってったけどね」 人間と関わり合いを持つ度に、エレインは眉を顰めながらもヘルブラムの話に耳を傾けてくれた。人間の文化に対するエレインの評価は手厳しいものばかりだったけれど、それでも片想いの相手が自分に意識を向けてくれる時間をヘルブラムは純粋に喜び、楽しんでいた。 「まぁ、エレインは、好奇心が強いタイプじゃないから……」 エレインは、ある面で実に妖精らしい妖精だった。つまり外の世界に関心がない、穏やかに日々が過ぎていくことを大切にする昔ながらの妖精族の気質だ。 「チミチミ、それは誤解と言うものだよ」 だがヘルブラムは、立てた指を左右に振って、実の妹に対するキングの評価に注文を付けた。 「確かにチミの言う通り、彼女は人間には否定的なところがあったよ。でもそれはさ、ハナっから興味がないのとはちーっと違ったんではないのかにィ」 「どういうこと?」 「好きの反対は嫌いじゃないって話。俺っちやチミがいたからこそ彼女はああいう態度だったわけで、無関心ではなかったと思うね」 好きの反対は嫌いじゃない、無関心だ。もしヘルブラムが先に人間の文化を持ち込まなければ、兄であるキングが食指を動かされなければ、人間の世界を覗く役はエレインのものだったかもしれない。 「そう、なのかな……?」 「少なくとも俺っちは、彼女を外に連れ回したかった。彼女がそれを望んでる気がしてた。だけど俺っちも情けない男で、最後の勇気が持てなかったのさ」 そうこうしているうちに、ヘルブラムは人間の卑劣な罠に捕えられる。キングが彼の後を追うと、他でもないエレインが妖精王不在の穴を埋めるために人間界に出て行かなければいけなかったのは皮肉でしかない。そうして妖精王の森で孤独に暮らすことを強いられたエレインは、以後700年、人間の悪意と愚行に晒され心を凍らせていく。人への慈悲も忘れかけた頃に、現れるたったひとりの賊が、彼女の運命を変えるとも知らず。 彼女は賢い女の子だった。人間の文化の高さも、自分の消極さもわかっていたのかもしれない。だから彼女は、自分を強引にでも連れ出してくれる人を心のどこかで待ち望んでいた。それは最後のひと押しができなかったヘルブラムではなく、奪って欲しいという彼女の願いに頷いたバンだった。 「ただエレインはわかってるのかにィ。バンが、俺っちを狂わせた人間と同類ってこと」 人間は醜く、残酷な生き物だ。同じ血がバンに流れ、彼もまた人間の性からは逃れられない。賊と名乗り、生命の泉を狙っていたのならなおのこと。 それでも人間の男がいいというのなら仕方がない。それにしたってあんなヤクザな奴じゃなくても、もっと他にいるだろうと、ここにいないバンのことを口にするヘルブラムの目はぞっとするほど冷たかった。恋敵を殺しかねない、地獄からわきでたようなヘルブラムの気配に、キングは500年にわたり人間を殺め続けた果てに再会した彼を思い出す。 「オイラだって人間は好きじゃないけど……、バンは、なんていうか、規格外だから」 バンを庇いたいのか、ヘルブラムを宥めたいのか、自分でも判然としないままキングは「同類」という部分だけをやんわりと否定する。すると、ヘルブラムはたちまち凍った心をいつもの笑みの下にしまい込んだ。 「俺っちに良いプランがあるのよん」 バンはどうやら仲間の元に戻ることよりも、エレインを蘇らせる方法を探すと決めたようだ。ジェリコも同行することだろう。その道中で二人の関係が進めば、ヘルブラムには都合が良い。失意のエレインには、キングを見守る役目を終えたヘルブラムがいてやれば万事丸く収まるじゃないかと、彼は今後の展望を嬉々として敷衍した。 「ご都合主義だよ」 ヘルブラムの壮大な皮算用は、バンを想う妹の気持ちをないがしろにするものだ。そんな妄想に、兄としてキングは良い顔をするわけにはいかない。しかしヘルブラムはどこ吹く風と、おどけるばかり。 「恋の前では、誰もが夢想家になるものだにィ。あいつだって、エレインを生き返らせる夢想にとりつかれちゃってるし。ほんと諦めの悪い男だよ、さすが元・人間だねぇ」 「やめろよ、ヘルブラム」 妹のために必死なバンを嘲笑うヘルブラムに、やはりキングは良い気持ちが持てそうもない。 確かに人間は愚かだ。己の分をわきまえない。神樹という雄大な存在に抱かれ、この世の摂理を受け入れる理性を持つ妖精族とは一線を画す。けれどそんな人間に、ヘルブラムは惹かれ、エレインは恋をしたのではなかったか。抗わず、争わず、穏やかに、だがあいまいに死へ近づいていく妖精族とは異なる、一瞬の星のような人間の生に目を奪われたのではなかったのか。 人間たちが見せる刹那のきらめき。ヘルブラムはそれを人間の文化の中に、エレインはバンの生き方に見たからこそ、いくつもの運命の歯車が回りはじめたのだ。そして、その歯車の動きにキングもまた巻き込まれている。 キングには今一つ、親友と妹が触れたものがピンとこない。だがおそらくは、命の手触りのようなそれを、愚かしいの一言で嘲笑うのは間違っている。 ひとつ説教をしてやろうと、口を開きかけたキングは親友の顔に目を瞬いた。口では都合のいい未来を語っておきながら、ヘルブラムは眉をハの字にした情けない笑みを浮かべている。 「ヘルブラム……」 ヘルブラムはキングの呼びかけに応えなかった。だがその沈黙は多くのことをキングに語りかける。彼の心はこう言っていた。
わかっているさ、これがズルい願いだとは。
そう、これは夢想だ。叶うはずのない、叶ってはいけない恋心の残骸だ。人間への嘲りも、エレインをひっぱりだす勇気がなかったヘルブラムから、成しえたバンへのやっかみにすぎない。 そんな自嘲が聞こえてきそうな寂しげな微笑に、キングはようやく、親友がこのタイミングでバンやエレインの関係に言及した理由にたどり着いた。 彼は寂しいのだ。 バンにはエレインが、エレインにはバンが、キングにはディアンヌが、ディアンヌにはキングが。それぞれがそれぞれを想い、隔たるものを前にもがいている。向こう側の見えない扉を叩き、こじ開けようとあがく姿は滑稽ではあるけれど、その扉の向こうに等しく自分を求める相手がいると信じている姿は眩しい。 ヘルブラムは、彼らの戦いをガラスの向こうで眺めることしかできない。ガラスの内側に、入りたくてしょうがないジェリコを応援したがるのはそのせいだ。 「ハーレクイン。チミの妹君は幸せ者だ。ただ、男の趣味は良くないね」 陽気だけれど軽薄で、どうにも信用に置けない男。バンにヘルブラム、エレインに周りに集まるのは、そんな癖のある男ばかりだ。その点について、キングは異論なく頷く。そして、ヘルブラムが気づかない妹のもう一つの「男の趣味」を付けくわえた。 「誰よりも一途な相手を、エレインは見抜くのがうまいのさ」 バンより顔の良い男はいるだろう。頭の良い男も。強い男は、人間と言うカテゴリーならば選択肢は大幅に狭くなるけれど、いないとは言い切れない。品行方正な男ならそれこそ星の数ほど。だがバンほどひたむきに、わき目もふらず、エレインを想う男はいないとだけは断言できる。彼女の蘇生を企むバンの<強欲>さに、キングは「認めるしかない」と白旗を上げたのだから。 その一途さで、ヘルブラムはバンに及ばなかった。 「つまり人間に浮気した俺っちが悪いと?」 「まあ、キミが拐かさたせいで、エレインとバンが出会ったようなものだし」 バンがヘルブラムの片恋を破ったというのなら、バンとエレインを引き合わせた責任はヘルブラムにある。うっかりキングが指摘してしまった点に、恋の敗者はしおしおと肩を落とした。そうだにィ……、と俯く親友に慌てたキングはしどろもどろになって励まそうとする。 「ヘルブラム、キミにだっていつか良い人が……!」 「何言ってるんだい、チミ。俺っちはとっくに死んでるんだよ。それとも何かい? でっかわい子ちゃんと両想いになった余裕からくる上から目線かい?」 「ち、違うよっ!」 ディアンヌのことをいきなり持ち出されて、忘れていたはずの混乱がキングの頭に戻ってくる。すでにバンのこと、エレインのこと、ジェリコやヘルブラムのことでパンク寸前の頭に、特大サイズのディアンヌのことが押し込まれてきて爆発しそうだった。 けれど、ディアンヌは生きてる。バンの言葉を信じるのなら、生きて、王国で、キングの帰りを待っていてくれる。その現実を前にしながら、バンとエレイン、そしてヘルブラムを隔てる生と死の境目もキングには気にかかるのだ。立ちふさがる生と死の狭間でもがくバンと、諦観とともにあるヘルブラムの違いに、キングは小さな苛立ちすら覚えていた。 「死んだらもう、何もかも終わりなのかなって」 「あたりまえだろィ。死者は魂となってそこにあるだけ。俺っちみたいなのは特別中の特別だよん。それがこの世の摂理じゃないか」 ヘルブラムの言葉を、以前のキングならば疑問なく受け入れただろう。死者は生者と共にはいられない。生者は死者のために何もできることはない。善悪の区別なく悠然とたたずむ神樹のごとく、生と死の境目もまた平等にして堅固なものであるべきだ。 「だけど……」 死者の都で出会えたバンとエレイン、兜に宿ってキングを見守り続けてくれているヘルブラム。この世の摂理を飛び越えたことが現に起こっている。自分たちがこの世の摂理と信じているものが、果たしてそのすべてなのだろうか。 「バンは諦めてない。だったらオイラだって、希望は捨てたくないよ」 妹が生きかえるそのこと自体よりも、互いに想い合う妹とバンの心が無為に終わることのない未来をキングは望まずにはいられない。その願いが、キングに希望を口走らせるのだ。 人間の持つ刹那の光は、どうやら妖精族の諦観を揺り動かす力があるらしい。 「バンは、やり遂げるかもしれない」 親友と袂を分かってまで、バンは望む道を進もうとしている。メリオダスを一度は殺すことも厭わなかった彼の執念が、20年経っても色褪せない想いが、諦めの悪さが、ヘルブラムの語る「この世の摂理」を覆せないとどうして言い切れるだろう。 「エレインだって、きっと……」 死者の都でバンに見せた、あの微笑みが本物ならば。 「そうしたら、俺っちは死者の都に行っても彼女に会えないわけだけど……。ま、それが彼女の幸せなら我慢しちゃうわけだ」 この諦めの良さが、俺っちと不死者の勝敗を分けたかにィ。 ヘルブラムの呟きに、キングは慰めの言葉を見つけられない。ただこの世の摂理を動かすのは、死者ではなく生者の覚悟なのだとキングは悟った。
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