3.二人だけの世界 少し湿ったベッドで、バンはいつもタバコを吸う。
二人だけの世界
バンはフィルターを噛んで、ゆっくりと煙を吸う。ちりちりと火が焦がす速度は緩やかで、見ている方がじれったいほどの吸い方は、タバコを「喫む」という表現がしっくりきた。食事を摂るように、じっくりと時間をかけて、バンが吸うのは一本きりだ。
時間にして、10分か15分か。ときおり指にタバコを挟んで、副流煙をくゆらせたままエレインと口を利くものだから、彼の一服は長くかかる。エレインは細い紫煙越しに、彼を眺めるのが好きだった。
「知らなかった」
初めて彼がタバコをくわえた姿を見たとき、エレインは思ったままを口にしていた。キャミソール姿で、彼のにおいのする布団に抱かれて、この布団の下で彼に可愛がられている間も苦い煙のにおいがエレインの鼻につくことはなかったから。
「舌が、バカになるからな」
バンの答えは端的で、そういえば彼はとても料理上手だったことをエレインは思い出したのだ。
「灰皿があったわ。キッチンに」
吸殻が、山になっていた。あまりにおいが気にならないのは、頻繁に換気がされているからだろう。バンに連れられて上がりこんだ今日も、無人のキッチンで換気扇が回っていた。
「ありゃ、ジバゴだ。セリオンが片付け忘れたんだろ」
義弟はもちろんのこと、同居している義理の父親を、バンは呼び捨てにする。エレインは、先週初めて対面した、バンの養父の顔を頭に描いた。一見人相が悪そうだけれど、実は垂れた目はとても優しい色をしていて、中年を過ぎているというのにざんばらに切った金髪とそれを押さえる派手なバンダナが似合う人だった。バンに「俺の女」と紹介され、エレインが行儀よく会釈しても、彼は目を白黒とさせて固まったままだった。
女。バンが、ジバゴにさらりと告げたセリフに、エレインの頬がぽっと赤くなる。そう、自分はもう女になった。彼のベッドで。彼によって。下着姿で、こうして彼と並んで横たわることも、指折り数えるようになってしまった。そう振り返ると、自分がとてもはしたない存在になってしまった気がする。後悔の気持ちが微塵も湧いてこないことを不思議に思った。
「どうした?」
枕に顔を埋めたエレインの頭上に、バンの声がかかる。ほんの少し、掠れて聞こえた。日ごろまろやかな彼の声が、乾いてしまう理由にエレインはますます布団に枕を押し付ける。彼のにおいが強くなった。喉が渇いて、汗をかいて、においが移る。そういうことを、この場所でしたのだと思い知らされてしまう。薄いキャミソールの生地ごしにバンが背中を撫でてくるから、冷めたはずの肌が再び溶けそうになった。
ギシリ、とベッドのスプリングが軋む。バンが動いて、マットレスがエレインの近くで沈み込んだ。ちらりと枕から顔を上げると、上体をよじってバンが腕を伸ばしているところだった。ヘッドボードを越えた手が、窓際に置いたビール缶に吸いかけのタバコを投じる。まだ、タバコは半分以上残っていた。
「もう、いいの?」
「んー、飽きた」
タバコの味に、ということだろうか。何の感慨も含まない声から、エレインはバンの心を探ろうとする。バンは飽きっぽいことで有名だった。連れている女性がいつも違うと言われていて、学外での付き合いばかりが耳に入る。同じ学校の女子生徒で、バンが親密になったのはエレインが初めてかもしれないのだ。
だから少し、エレインは怖い。彼に飽きられることが。気まぐれだったと、捨てられてしまうことが。彼の心を知りたい気持ちの裏側で、真実を知らされたくない臆病な自分が縮こまっていた。
年上の派手な女性ばかりと腕を組んでいた彼が、化粧っ気も胸もない女子生徒に目をつけた理由がタバコと同じなら。料理や舌にわずらわしくない程度の、「遊び」を楽しんでいるのなら、エレインは傷つかずにいられない。そんなエレインの不安を知ってか知らずか、バンは少しの遠慮もなく、彼女を女にした。
「兄貴は?」
「デートよ。ディアンヌと」
バンは服を何も着ていないから、布団から大きくはみ出た上半身を隠すものがない。彼が動くたびに、彼の覆う筋肉がうねるのがよくわかった。鍛えられたそれらを巧みに使って、バンの体がエレインの上に戻ってくる。
さっきまで彼にくわえられていた、タバコのにおいがエレインの鼻腔を刺した。このにおいは好きになれない。包まれるなら、バンの本当のにおいがいい。
「遅ぇんだよ、ジバゴも。今夜」
囁く声に、肌が震える。声に塗り込められた媚薬は、すでに開かれたエレインの官能をたやすく引きずり出す。直接肌に触れられたわけでもないのに、彼の気配だけでシーツの海に溺れてしまいそうだった。
「セリオンと、キリアちゃんは?」
「セリオンは夜学。キリアはジョリコんとこ」
エレインがどうにかこうにか搾り出した言い訳も、バンの長い舌がたちまち絡めとって品切れにされる。広いけれど、古びた家に二人きり。息を殺せば、耳がキンと鳴るほどの静寂に満ちている。その静けさを破るのが、彼の愛撫で自分の唇から溢れる声だと思うとたまらなくなった。
「なぁ、エレイン」
嫌ったタバコの残り香さえ、彼の色香にかなわない。頭がくらくらとして、彼に遊ばれてるだけかもという疑いは、心の隅にたちまち追いやられてしまうのだ。
「欲しいんだ」
遊びでもいい。彼に、こんなに強く求められている。そう夢を見させてくれるなら、昨日も明日もなくていい。今だけがあればいい。
「いいだろ?」
首筋をたどる彼の唇に、嫌だなんて言えるはずがなかった。
【学パロ設定(覚書)】
原作プラトニックな反動で、学パロは一線超える二人。
バンは喫煙も飲酒もします。ジバゴはヘビースモーカー。
セリオンはヒキコモリから脱して夜学へ。夜学教師のエスカノールと親しくなって云々かんぬん。
キリアちゃんは、エレインの弱点が家庭科だと知って料理教室へ。そこでジェリコと以下略。
四人が暮らす家は、古い木造の一軒家。
裏でキンディアが成就してるらしい(考えてない)
小ネタの割りに長いのは、楽しいからです。
2016/3/6 Ban × Elain by hirune wahiko
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